浪人時代 1

  長男と言う立場は全く割の合わないもので、進学、成人、就職、結婚、退職などの人生の関門を先陣切って突破しなくてはならないのに、先達がいませんから、自分で突破方法を考えるしかありません。しかし、自分はあわて者で熟考が大の苦手ときておりますので、成功や達成より失敗や挫折の方がはるかに多いというのが実情です。

 その点、妹や弟やたちは兄の失敗や挫折を参考にでき、事前に十分、準備をしますので、大体うまく関門を突破し、人生も順調に進んでゆきます。

 私がバイトや嘱託職員を経て、何とか採用試験に合格。29歳にしてようやく正式採用された頃、妹弟たちはとっくに仕事についており、兄の面目は丸つぶれでした。

 さて、時間は少し遡りますが、私は大学受験の時も甘い判断から志願校を高望みして全敗し、1年間の浪人生括を送ることになりました。入学した予備校は高校よりずっと近くにあったので、朝はゆっくり起きてのんびり出かけました。授業は高校の時に比べるとはるかに分かりやすかったのですが私自身は勉学意識が高まらず、停滞していました。

 そんな予備校講師の中で一風変わっていたのが、下半期になって初めて現れた漢文の先生です。彼は70代の痩せた老人でトレードマークの赤いベレー帽を被り、黄色か白のセーターを着ていました。漢文の授業はあまり人気がないらしく受講者は10人程度しかいません。しかし、いざ授業が始まると漢文の解説が講談のように面白く、受講者でファンクラブを作ろうかという話が出たくらいでした。

 その才能が最も発揮されたのは、白楽天が楊貴妃を称えた「長恨歌」の解説です。その中の「華清池の温泉」部分を紹介します。

原  文

「・・・温泉水滑洗凝脂 侍兒扶起嬌無力・・・」

読み下し

「・・・温泉の水すべらかにして凝脂を洗う、侍兒たすけ起こさんとすれども矯として力なし・・」

先生の解説

「楊貴妃はぽっちゃり型の美人で、ボインちゃんでして、温泉の湯船から少し体を出すとそのぽちゃぽちゃした真っ白いお肌の上をお湯がツ・ツ・ツーと滑っていくわけであります。侍女が支えるその姿のあでやかなこと、あでやかなこと、支えられてようやく湯船から上がる姿、なよなよとしたたたずまい、重いものなど持ったたことのない手弱女そのものでございます」

 浪人時代の授業で一番記憶に残っているのは「・・・お湯がツ・ツ・ツー・・・」ですから・・・、2度目の受験は高望みせず自分の学力レベルでもいけそうな大学を受験し、なんとか入学できました。

 「長恨歌」以外の漢文も面白おかしく解説してくれた先生のおかげで「漢文の魅力に開眼したこと」のみが浪人生活唯一の収穫だったということで、本日のお話はおしまいでございます。お粗末さまでした。