日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
好きなバス路線その4 京都市バス5系統 3
錦林車庫 西側の岡にへばりつくように立地する「京都市バス錦林車庫」は、元は市電の車庫でした。近隣にあるノートルダム学院中学・高校の衣替えは都の歳時記となっています。
浄土寺 浄土寺バス停の近くには浄土寺郵便局があり、随分前に局長がDJを勤めるラジオ番組を聞いた記憶があったので、改めて調べてみると、現在もラジオDJをされているようでした。
銀閣寺道 バス停から東に数分の東山山麓に超有名寺院がありますが、京都市東隣の大津市に25年も住んでいると「いつでも行ける」と足が遠のくせいか、一回しか訪ねたことがありません。
北白川校前 この辺りはバス停ごとに小さなスーパーやドラッグストアがあり、それらを利用する老人達たちの乗り降りが目立ちます。
京都市は市バスの敬老パス負担額が神戸市に比べて大変安く、利用する老人も多いようです。
しかし、市は財政赤字を少しでも返すために料金の値上げを計画しており老人で賑わうバスの光景もあと僅かかも知れません。
北白川別当町 琵琶湖岸の「大津市錦織」から比叡山の山頂近くの「山中町」を通り京都盆地の「北白川」に至る「山中越え」は、山科盆地回りより短時間で近江に移動できる古代から重要道。沿道には200㎏級関取ほどの巨大石造仏が道中の安全を静かに見守っています。
上終町 京都造形芸大前 一般の大学と違う際立つ個性の女子大生がバスを降りてゆきますが、不思議なことに男子学生は地味で個性を感じさせません。
また「上終(かみはて)」は難読地名として有名ですが、確かにこの辺りから沿道に京野菜畑が増え「都の外れ=洛外」に風景が変わります。
一乗寺木ノ本町 一乗寺下り松町 一乗寺清水町 平安時代創建で南北朝時代に廃絶した一乗寺を地名とするバス停が3箇所続きます。西側山麓には曼殊院、圓光寺、金福寺、詩仙堂などの名刹があり、いずれも紅葉の名所として知られています。
一乗寺下り松は昔から著名な街道沿いの松で現在は四代目。その名にちなんだ「一乗寺下り松の決闘」は宮本武蔵の決闘としては「巌流島」とならぶ著名なもので、萬家錦之助主演の武蔵が吉岡一門の総代とされた11歳の少年を最初に斃し、その後、門弟を斬って斬って斬りまくる映画が記憶に残っています。
修学院道 修学院離宮道 修学院は平安時代創建寺院ですが、中世には廃絶し、江戸時代(17世紀)後水尾上皇が跡地に離宮を造営しました。
桂離宮とともに江戸時代を代表する離宮で、その素晴らしい景観を鑑賞したいと思いながらもまだ訪れる機会がありません。
北山通を過ぎ、京都盆地に別れを告げると、バスは北山の高地に向かう坂道を登り始めました。(続く)
『好きなバス路線その4 京都市バス5系統』2
三条京阪前 鴨川沿いの川端通りを南下したバスは高山彦九郎が遥拝する川端三条交差点を右折、今は地下に潜った「京阪三条駅」もかつては、目の前の鴨川堤に建つ風流な駅でした。
ただ「京津線ホーム」のみ平成9年まで地上に残っていて「四宮行普通電車」が恐竜の断末魔の叫び声に似た悲しげな警笛とともに出発してゆくのを度々見かけました。
バス停近くの檀王法林寺には日本最古の招き猫伝説が伝わっているそうです。
東山三条 バスは三条通を東進します。通り北側に建つ有名仕出し店「辻留」の隣は長い間更地でしたが、ようやく建物が建ち始めました。
神宮道 東山通を過ぎ、しばらくして三条通り右折し、神宮道に入ると平安神宮の大鳥居が行く手に見えてきます。
岡崎公園美術館・平安神宮前 疎水を渡り、大鳥居をくぐると、左に国立近代美術館、右に改装された京都市京セラ美術館があります。此処を通る時はいつも、同館の市立美術館時代「エジプトミイラ展」の入場者列が館を二重に取り巻いていたことや印象派展で「印象 日の出」を初めて見たことを思い出します。
岡崎公園・動物園前 平安神宮応天門(正門)前まで進み二条通を右折すると、バス停の右手に京都市動物園の門が見えます。
岡崎法勝寺町 二条通を東に進むと立派な門構えの御屋敷が続く高級住宅地に同バス停はあります。
名前の由来は平安時代末期白河天皇が発願し、造営された「法勝寺」ですが、高さ80mの九重の塔を持つ巨刹も戦国時代には廃絶し、現在山号のみが地名として残っています。
南禅寺・永観堂道 二条通は白川通りに突き当るので、右折するとビッグネーム「南禅寺・永観堂」が並列するバス停があります。残念ながら両寺院ともバス停からかなり離れた場所にあります。
東天王町 バスは北山に向けて白川通を北上し、丸太町通りを越えると、道も4車線に広がります。西側には「法然」が隠棲した草庵が後に浄土宗大本山となった「金戒光明寺」が建ち、その北側には「うなずき弥陀」の異名をもつ、木造阿弥陀如来像が本尊の真如堂があります。