2017年2月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

情緒が安定している

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 小学生時代(昭和40年代)の「通信簿」には「五段階評価」の「各教科成績欄」とは別に「責任感」「協調性」「指導力」など本人の「性格評価」が記される欄がありこちらは(◎、〇、△)の「三段階評価」でした。

 小生の「性格評価」は〇か△ばかりで、6年間18学期を通して「◎」だった項目は「情緒が安定している」だけです。

 おとなしい性格でけんかもせず、授業中に騒いで怒られたこともなかったので、これこそが自分の「長所」で、評価は適切だとずっと思っていたのですが、最近になって「いつもぼーっとしていた」ことを好意的に書かれていただけではないかと思い始めました

 担任に質問された時は中々言葉が出ず、友達と話すときもペースは遅れ気味で、突っ込みに対する反応も悪いなど、様々な局面ほどぼーっとしていて周りのペースについてゆけないという「短所」を担任が見方を変えて好意的に評価してくれたのでしょう。

 ところで、このことを後輩の女性に話したところ彼女は1年から6年までずっと「マイペース」という欄に「◎」がついていて、ずっと前から「勉強や日常活動がのろのろとしていて、成果が出るのが遅れ気味だった」という意味に理解していたそうです。

 通信簿の「性格評価」には小学生の知恵では窺い知れない含蓄があるのです。

危うくボウズを免れる

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 昨年11月中旬の某日、北風が強く、気温は一ケタ代、潮も「小潮」という最悪の条件でしたが「残り少ない釣りシーズン中に一回でも多く釣行しておきたい」という思いから、無理を承知で出発。

 午後2時頃「ポートアイランド北公園」の釣座に着くと向かい風に撓む竿になんとか「サビキ仕掛け」をつけて沈めたのですが、潮もまったく動かず魚信も一向にありません。

 寒さが骨の髄までしみ込み、夕日も山の端に消え「いよいよ7年半ぶりのボウズで納竿か」と思い始めた矢先、待ちに待った魚信がありいつもよりゆっくりとリールを巻上げるとチャリコ(小さな真鯛)が一尾かかっていました。

 12月初めの「2016年シーズン最終釣行日」は気温・風速とも件の日と変わらないのに大潮だったせいかチャリコを20尾以上釣上げ、潮と釣果は密接に結びついていることを再認識しました。

 年が明け「ボウズなし」記録は8年目に突入。今年も伸ばし続けたいものです。

貴重な釣果

貴重な釣果

 

 

嫌いな言葉(2) 狭い意味で使われるようになった「絆(きずな)」

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『古語大辞典』(小学館 昭和58年)に記載された古語の「絆(きづな)」は、

1.鷹や犬などをつなぎとめる綱

2.親子兄弟など断ち難い愛情関係を紐にたとえたもの

の二つの意味があり、1の用例は平安時代、2は鎌倉時代の文献に見られることから、かなり以前から「物質的結びつき」「精神的な結びつき」の二つの意味があったことが分かります

 漢字の「絆」意味は元々「物質的な結びつき」だったようで、

『漢語林』大修館 平成十年 五版「絆」の項には

・牛馬の足をつなぐなわ ものをつなぎとめるもの 自由を束縛するもの

と書かれています。

 和語の「きずな」について『新明解国語辞典』第七版 2012年刊行には、

1、家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や親しく交わっている人同士に生じる断難い一体感

2、何らかのきっかけで生じた今まで比較的疎遠であった者同士の必然的な結びつき

のように「精神的な結びつき」の意味があてられていて、「漢字」と「和語」の意味には違いがあるようです。

 旧仮名遣いで「きづな」と書かれていた戦前は、語中の「つな(綱)」という言葉から、「語源」を推し量ることもできましたが、「四つ仮名の改悪」(昭和21年内閣第33号「現代かなづかい」により「ぢ、づ」と記されていた文字の多くが「じ、ず」に変わった) 以降は「きずな」と記され「語源」が分かりにくくなりました。

 「きずな」は本来「結びつける」ということが第一義で、「悲劇的な結びつき」の場合にも使われていました。しかし、東日本大震災の年の「今年の漢字」に「絆」選ばれた頃から「絆」一字で「精神的な美しい結びつき」という意味に限定して使う傾向が強くなってきました。

 歴史も古く、多様性もある言葉が本来の意味を失って狭い範囲に限定して用いられることが一般化していくことは良いこととは思えませんが、皆さんはどうお考えでしょうか?