2018年8月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

納曽利

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 昨年10月、東灘区の「うはらホール」で「熱田神宮 巡回講演」が実施されることが新聞に掲載されたので、早速応募すると入場券が当たりました。 

 当日、開演時間(18:30)の少し前に会場に着くと、500席以上ある会場は、ほぼ満員の盛況で、名古屋弁の案内係が、入場者をさばくのに大わらわの様子。

 定刻になると司会者が登場し、講演責任者の挨拶の後、いよいよ始まりです。

 最初のプログラムは雅楽「越天楽」ですが、司会者によると、

 「熱田神宮では、巫女も雅楽や舞楽の練習を行い、今回も楽人として演奏する」

ということで、女性楽人も交えた少人数の楽人により演奏されました。

 次は「巫女さん」数名が本来の装束で登場し、楽に合わせて「三種の神器 草薙剣」をテーマにした神楽「みつるぎ」が優雅に舞われます。

 三番目は公演のメイン「杉山 直氏によるヤマトタケルノミコトの神話朗読」。

 スクリーンに映されるさまざまな映像と共に感情豊かに語られる「日本武尊の一代記」を聞き、忘れかけていた古事記の関係記述を思い出しました。

 公演の最後を飾る舞楽「納曽利」の上演前、司会者から、

 「本日は巫女が稚児舞によって行うので、面は付けず、花飾りを付けた天冠をかぶります」

という説明があったので「簡略パターンか」とやや失望しましたが、小柄でかわいらしい二人の女性が演じる舞は「軽やか」そのもので実に魅力的です。

 小生は (小野摂龍楽頭が鞨鼓を掻いていたので、昭和の終わりか平成の初め頃)「雅亮会」の公演でこの舞を鑑賞したことがありますが、その時は、男の舞人が牙の付いた恐ろしげな面を付け、重々しく勇壮に舞っていました。

 しかし「納曽利」は「瑞兆とされる龍が、天空で楽しげに舞う様子」をあらわす舞ですから、当然浮遊感があっていいはずで、今回の女性の舞人が演じる「ふわふわと飛んでいるような舞」もまたその本質を示しているのではないでしょうか。

 舞楽の奥深さを堪能する素晴らしい時を過ごすことが出来、満足して帰宅しました。

「世間をお騒がせしてすみません」

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 横溝正史作「人形佐七捕物帳」の一場面。

 春のうららかな午後、しばらく事件のない平和な江戸「佐七」は恋女房に膝枕で耳掃除をしてもらい、子分の「きんちゃくの辰」は鼻毛を抜き「うらなりの豆六」は草双紙を読みながら居眠り。

 将軍様のありがたい御政道は江戸の隅々までいきわたり、天下泰平、鼓腹撃壌「岡引き」や「瓦版屋」はすっかり無聊をかこつ有様。

 しかし、そんな平安もやがて「とんでもない事件」に打ち破られ、親分子分うち揃ってあたふたと家を飛び出してゆくのですが。

 平穏な日常だと「警察」や「マスコミ」が暇なのは、現在でも全く同じです。

 昭和の頃知り合いだった「社会部記者」も事件のない日は、「支局」や「警察記者クラブ」の片隅に過度の酒とたばこのせいですっかり張りのなくなった顔で所在なげにくすぶっているのですが、事件の一報が入った途端、たちまち元気を取り戻し、カメラマンや後輩記者を引き連れてばたばたと出動するのが通例でした。

 ところで「世間をお騒がせしてすみません」というお詫びの文言は「事件」や「事故」に関連して行われる「記者会見」で当事者がよく用います。

 小生はこれを聞くたびにいったい誰を対象にしたお詫びなのかずっと疑問を持っていました。

 まず、お詫びの対象である「世間」とはそもそも何でしょうか?

 三省堂『新明解国語辞典』第七版-2016年-によると、

「一般の人々が集まって形作る社会。また、それを形作る人びと」

と、書かれています。

 「社会」や「人々」の範囲が特に限定されてないことから「世間」とは「日本社会」いや、もしかすると「地球上の社会」のことかもしれません。

 しかし、タレントの「不倫」や「二股疑惑」が「全世界」に悪影響を及ぼすとは思えませんし、どうしても「不行跡」を詫びたいなら、実際に損失を被る「所属プロダクション」「スポンサー」「テレビ局「「興行関係先」「ファンクラブ」等に個別に誤りに行けばいいわけで、事件に関係のない視聴者に謝罪する必要性はあるのでしょうか?

 そもそも、タレントがテレビでお詫びしても、視聴者の多くは損失を被ったわけではないので対応のしようがありません。

 また、この文言は当事者が「将軍様(総理大臣閣下)の立派な御政道により岡引き(警察)や瓦版屋(マスコミ)が無聊をかこつような平和すぎる世の中の秩序を乱す事件を起こしたことを詫びる」ために用いており、事件そのものの違法性を詫びてはいないのです。

 聞くたびに不信感を抱いている小生のような「世間の一員」もいることですし、当事者もこの「手垢のついた」「無責任な」言葉を使うことはもういいかげんやめるべきでなないでしょうか。 

 さて、蛇足ですが記者会見での「マスコミの皆様」は「国民の代表として質問している」とよく言われますが、当事者と利害関係のないことが多い小生が「国民の代表」に選んだ覚えはありません。

 この「国民の代表」は記者会見で当事者に対して「適切な答がない」などと声を荒げたりしていますが、実際は大きな事件や天災がないと「天下泰平時の佐七」のように暇で困ってしまう立場なので、「世間を騒がしてくれてありがとう」という本当の思いを心に秘めて「記者会見」臨んでいることは間違いないと思います。