2020年9月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

神魂神社(かもすじんじゃ)を訪ねて

投稿日:

 8月初旬、コロナ禍もやや落ち着いてきたので、出雲地方へ2泊3日の名所遊山に出かけました。

 2日目の15:00頃、松江城下町にある田部美術館を見学し終えて当日予定は終了したのですが、ホテルに戻るには時間が早すぎるので「八雲立つ・・・」の歌で有名な「八重垣神社」と室町時代創建の本殿が国宝指定されている「神魂神社」の両社を参拝することを思い立ち、レンタカーで国道を南下。

 30分程で着いた八重垣神社は、あまり特色のない小ぢんまりした神社だったので、参拝後、路傍にある「資生堂の椿の印章」のモデル「夫婦椿」をちらっと見て、神魂神社に向います。

 ところが、地図上では近隣に見えたのに実際は山を一つ迂回しなければならず、その間に日は沈み、出発から1時間近く過ぎ、薄暗くなりかけた頃、周囲の風景とはなじまない、神気が立ち昇ぼる杉林を遠くに発見しました。

 そこからしばらく坂道を登り、ようやく当該神社の駐車場に着きましたが、付近に人影はなく、車を降り杉木立からひぐらしの声が降り注ぐ、暗い参道を進むと、道端にまるで「異界への道標」のような「苔むした手水鉢」があります。

 コロナ禍ということで、口は漱がず手だけを清め、石段を上ると社殿が立ち並ぶ境内に出ましたが、石段正面の国宝本殿・拝殿の古び方が尋常ではありません。

 創建以来風雪・風雨にさらされ続けたのでしょう、屋根の檜皮はボロボロで、柱も欄干も柵も痩せ細り、木肌はささくれ、少しの振動でも倒壊しそうです。

 本殿両脇の末社も本殿同様に古びていて、その一つ稲荷社の石狐は風化がひどく生気がまったくありません。

 参道と社務所の周りには大杉の木立があり、本殿裏の斜面は低木と草に覆われているのですが、境内の地表は苔と草が僅かに見えるだけの粗い砂地なので、社殿群は「砂浜から生えたきのこ」か「大きなケムール人が小さなケムール人を従え佇立している」ようにも見え、不気味さが募ります。

 気を取り直し、御参りするために、拝殿に入ると神前の案には磁器製一升瓶の御神酒一対と米、果物、野菜などの神饌があふれんばかりに供えられ、垂髪で紫の袴を穿いた女性の神官が夕方の御祀りを行っていました。

 「モノクロームな神域の中でここだけに華やかな色彩があるなあ・・」

と、思ったその時、小生は感じたのです・・!!

 神饌の供応を受けた本殿と末社の神々が静かに御霊を震わせているのを・・・!!

 ・・・・。

 神威を受けたためか、それからしばらくの間、体が麻痺したように動きませんでしたが、やがて我に返り、

 「これはもしかして、澱のように動かない夕凪の大気に包まれ、ひぐらしの声だけが響く逢魔が時に現れたあやかしではないか?」

と、思ったのですが・・・・。

 「あやかし」ではなかったのです。

 なぜなら、神官の祝詞を聞いているうちに「余生を明るく過ごす希望」と「死の恐怖を吹き飛ばす安堵感」が、心底から湧き上がってきたからです。

 これこそ神威を感得した何よりの証拠ではないでしょうか。

 創建以来、様々な自然災害・戦乱を乗り越えて、身を細らせながらも生き抜いてきた神魂神社の社殿群は、一見枯れて生気を失った屍のようにも見えます。

 しかし、そこに鎮座する神々は日々の神饌と御祀りを供されることにより、神威が衰えることなく、ずっと社殿を守り続けてきた・・・。

 まさに神魂神社です。

 「参拝したことで己の人生は変わった」ことを確信し、晴れやかな気持ちで御社を後にしました。

やきもち地蔵を訪ねて

投稿日:

 小生は30年近く前「一生に一度だけ願いをかなえてくれる」という御利益がある北区山の街の「やきもち地蔵」を訪ねたことがあります。

 その時は自家用車で布引から新神戸トンネル通り谷上経由で行ったので、国道428号(通称「有馬街道」)の難所小部峠(おぶとうげ)は通りませんでした。

 忘れてしまいましたが、当然何か願掛けしたはずなので、再び参拝しても「二匹目のどじょう」はいませんが「往時の神戸市民と同じ小部峠越えルートでやきもち地蔵に参拝したい」という思いと「小学生の折、祖母と日帰りバスツアーで今田町(現丹波市)の丹波焼窯元を訪ねた際に一度だけ通った有馬街道をもう一度通行したい」という思いを実現するために、

・神戸駅から「有馬街道」を通る「鈴蘭台行き阪急バス」に乗り→最大の難所小部峠の手前で降り→歩いて峠越えし→そのまま焼餅地蔵まで歩を進める。

という計画を立て、実行予定を5月中旬としました。

 当日、曇天の昼前、神戸駅南口からバスに乗車、出発すると、湊川から夢野2丁目を経由し平野で左折、いよいよここからが4kmで300m強を登りきる急勾配の「有馬街道」です。

 バスは本道を少し進むと、分岐する狭い旧道に入りました。

 「こんな隘路ですれ違いは無理だ。対向のバスが来たらどうしよう」と心配したのですが、運転手はたまにある「すれ違い場」を巧みに利用しながら行き違いを行います。

 旧道にはバス停が何箇所かあり、その周辺には数軒の家が崖下にへばりつくようにして建っていました。

 10分程度で、新道に合流し、トンネルを抜けると鈴蘭台地区最南部に位置する「水呑(みずのみ)」バス停に到着しました。

 ここで下車し、有馬街道最高地点である小部峠(おぶとうげ)を徒歩で目指しますが、目的地は1km先で高低差はまだ70mあります。

 沿道に建つ王将やら丸亀製麺やらファミレスを横目に見ながら、蒸し暑い上に無風という悪条件の中30分近く歩いてようやく標高369mの小部峠に到着したので、来し方を振返って写真を撮ろうした時、道端に応永八年(1401)建立の宝篋印塔の由来を記した看板を発見しました。

 疲れも忘れて、急いで近づき、表示された「灌木が覆いかぶさってトンネル状になった細い山道」を身をかがめて20m程進むと、木々に遮られ日がさしこまない狭い平坦地があり、一石五輪塔や石地蔵従えた立派な宝筐院塔が建っています。

 早速、塔の周囲を一周して細部を観察した後、写真を撮り「力を振絞ってようやく峠にたどり着き、安全を祈って下って行く往時の人々の姿」を想像しながらしばらく休憩し、再びトンネル道を抜けて国道に戻りました。

 登りと打って変わって、快調に下って行くと谷底に大きなパチンコ屋が見えてきましたが、近づくと緊急事態宣言のため閉店しています。

 さらに歩を進め、峠から20分程で「焼餅地蔵」と表示された交差点に着きました。

 以前訪れた時には道から地蔵堂が見えたのに高台の団地に向かう「地蔵橋」なる大きな橋ができたせいか、まったく姿が見えません。

 道端にあった行先案内に従い、階段で河原におり、件の橋の下をくぐって川べりに出て、小さな橋を渡ると、少し先の崖下に地蔵堂が見えました。

 参道には赤い幟が立ち並び、景気がよさそうですが、平日ということで受付に人はおらず、やきもち地蔵の由来となった餅も無人販売になっています。

 参道の脇の「絵馬掛」には沢山の絵馬がありましたが「一生一願掛け」に適合するのは「社会的要求」より「個人的要求」が勝るのか、「コロナ終息祈願」の絵馬は僅かでした。

 堂内の地蔵さんは大きな前掛に覆われ姿は見えませんが二体あるようです。

 参拝後、自販機でお茶を買い、隣接する休憩所でしばらく憩い、汗も引いたところで、地図上ではかなり高台にあるため、急坂でもう一汗かかなければたどり着かない「神鉄山の街駅」を目指し、御堂を後にしました。

宝篋印塔

やきもち地蔵