やきもち地蔵を訪ねて

 小生は30年近く前「一生に一度だけ願いをかなえてくれる」という御利益がある北区山の街の「やきもち地蔵」を訪ねたことがあります。

 その時は自家用車で布引から新神戸トンネル通り谷上経由で行ったので、国道428号(通称「有馬街道」)の難所小部峠(おぶとうげ)は通りませんでした。

 忘れてしまいましたが、当然何か願掛けしたはずなので、再び参拝しても「二匹目のどじょう」はいませんが「往時の神戸市民と同じ小部峠越えルートでやきもち地蔵に参拝したい」という思いと「小学生の折、祖母と日帰りバスツアーで今田町(現丹波市)の丹波焼窯元を訪ねた際に一度だけ通った有馬街道をもう一度通行したい」という思いを実現するために、

・神戸駅から「有馬街道」を通る「鈴蘭台行き阪急バス」に乗り→最大の難所小部峠の手前で降り→歩いて峠越えし→そのまま焼餅地蔵まで歩を進める。

という計画を立て、実行予定を5月中旬としました。

 当日、曇天の昼前、神戸駅南口からバスに乗車、出発すると、湊川から夢野2丁目を経由し平野で左折、いよいよここからが4kmで300m強を登りきる急勾配の「有馬街道」です。

 バスは本道を少し進むと、分岐する狭い旧道に入りました。

 「こんな隘路ですれ違いは無理だ。対向のバスが来たらどうしよう」と心配したのですが、運転手はたまにある「すれ違い場」を巧みに利用しながら行き違いを行います。

 旧道にはバス停が何箇所かあり、その周辺には数軒の家が崖下にへばりつくようにして建っていました。

 10分程度で、新道に合流し、トンネルを抜けると鈴蘭台地区最南部に位置する「水呑(みずのみ)」バス停に到着しました。

 ここで下車し、有馬街道最高地点である小部峠(おぶとうげ)を徒歩で目指しますが、目的地は1km先で高低差はまだ70mあります。

 沿道に建つ王将やら丸亀製麺やらファミレスを横目に見ながら、蒸し暑い上に無風という悪条件の中30分近く歩いてようやく標高369mの小部峠に到着したので、来し方を振返って写真を撮ろうした時、道端に応永八年(1401)建立の宝篋印塔の由来を記した看板を発見しました。

 疲れも忘れて、急いで近づき、表示された「灌木が覆いかぶさってトンネル状になった細い山道」を身をかがめて20m程進むと、木々に遮られ日がさしこまない狭い平坦地があり、一石五輪塔や石地蔵従えた立派な宝筐院塔が建っています。

 早速、塔の周囲を一周して細部を観察した後、写真を撮り「力を振絞ってようやく峠にたどり着き、安全を祈って下って行く往時の人々の姿」を想像しながらしばらく休憩し、再びトンネル道を抜けて国道に戻りました。

 登りと打って変わって、快調に下って行くと谷底に大きなパチンコ屋が見えてきましたが、近づくと緊急事態宣言のため閉店しています。

 さらに歩を進め、峠から20分程で「焼餅地蔵」と表示された交差点に着きました。

 以前訪れた時には道から地蔵堂が見えたのに高台の団地に向かう「地蔵橋」なる大きな橋ができたせいか、まったく姿が見えません。

 道端にあった行先案内に従い、階段で河原におり、件の橋の下をくぐって川べりに出て、小さな橋を渡ると、少し先の崖下に地蔵堂が見えました。

 参道には赤い幟が立ち並び、景気がよさそうですが、平日ということで受付に人はおらず、やきもち地蔵の由来となった餅も無人販売になっています。

 参道の脇の「絵馬掛」には沢山の絵馬がありましたが「一生一願掛け」に適合するのは「社会的要求」より「個人的要求」が勝るのか、「コロナ終息祈願」の絵馬は僅かでした。

 堂内の地蔵さんは大きな前掛に覆われ姿は見えませんが二体あるようです。

 参拝後、自販機でお茶を買い、隣接する休憩所でしばらく憩い、汗も引いたところで、地図上ではかなり高台にあるため、急坂でもう一汗かかなければたどり着かない「神鉄山の街駅」を目指し、御堂を後にしました。

宝篋印塔

やきもち地蔵