2015年9月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

査読論文の光と影(その2 論文の書き手)

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 私は20代後半から30代にかけて、研究や仕事に役立つ「重要な考古学レポート」をたくさん集めたことがあります。記載冊子は「紀要」「年報」「特別展の図録」「発掘調査報告書」「文化財パンフレット」「文化財ニュース」「現地説明会のパンフ」等多種多様ですが、意外なことに本格的な「研究誌」に記載されている「論文」は多くはありませんでした。

 考古学論文の書き手は、①土木工事に伴う緊急調査により、億単位の予算で大規模調査をしている「市町村教育委員会や埋蔵文化財センターの埋蔵文化財調査員」②少ない予算で細々と学術発掘をしている「大学等の研究者」とに分けられます。

 しかし、「埋蔵文化財調査員」は「調査データ」はたくさん持っているのですが、発掘調査中に「現地説明会」を実施し、パンフレットを作製。発掘調査が終わると「発掘速報展」の原稿を書き、「発掘調査概要報告」や「発掘調査報告書」等も発掘調査後比較的短い期間で刊行されるので中々忙しく、ゆっくり論文に取り組んでいる時間は多くありません。

 では、「研究するのが仕事である」大学等の教授や准教授は、どんどん論文を発表するのでしょうか?実はそうでもありません。昭和50年代の大学と違い現在の大学は学生の教育に重点が置かれていて、教員一人当たりの授業時間も長く、各種会議も多く、中々研究時間が取れない上に調査予算も少ないので、まとまった論文が書けず、学位(博士号)を持っていない大学教授も結構多いのです。

 では一番多い論文の書き手は、やはり「大学院生(修士・博士課程)」でしょう。その中には定年後に入学した「シルバー学生」も多く含まれています。(その3)に続く

査読論文の光と影(その1 論文とは?)

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 私が現役の頃(昭和50年代)大学文科系学部では、大学を卒業し、大学院修士課程の試験を受けて入学。2年間で必修科目を履修し、修士論文を提出。更に博士課程に入学し、3年間履修。学位(博士)論文を提出して、口頭試問を受け、審査に通ると、めでたく学位(博士号)を取得することができました。

 ところが近年、上記に加えて「研究誌に査読論文が2本以上掲載されること」が、学位取得の条件になり、道が険しくなりました。大学院生達は学位論文を提出する前に、それぞれの専門分野の「研究誌」に「論文」を送り査読を受け、採用結果を待たなければなりません。

 今回はこの「査読論文制度」の弊害を紹介したいと思い筆を起こしましたが、その前に「学位論文」「査読論文」に共通する「論文」そのもの、特に私がよく読む考古学論文について検討したいと思います。

 一般的な考古学論文の構成は、巻頭の「第1章 はじめに」からスタートします。この章では、論文の「視点」や「ねらい」が記されますが、これについては、特に問題はありません。

 次が「第2章 先行論文(報告)の紹介」です。ここでは「自身の論文テーマ」に関連する「論文」や「報告」を網羅した上で、要約して紹介します。ほんの少しでも、自説にかかわる部分があれば記載するので、必然的に件数が多くなります。

 次に登場するのが「第3章 事例報告」で、「論文」のテーマに関わる全国各地の「実例」(遺跡や遺構、出土遺物等)が「写真・図面」と「無機質な文章」のセットで何十例も掲載されます。このあたりまでくると疲れてきて読書意識が薄れてくるのですが、その後「表組」や「ドットマップ」が延々と続くこともあります。

 「事例報告」がようやく「第4章 まとめ」が現れました。目をしっかり見開き、読み進めてゆくと、これまでとは打って変わって短文が多く、中には「本論は先行研究を補強することとなった」などと誇らしげに書かれている例もありますが、「これって、自作に独自性がないことを宣言してるんちゃうの?」と思わざるを得ません。

 最後の「註」になると再び頁数が増大します。「註」の中にも文章が多く引用されていて、いつ巻末にたどり着くのか想像もつきません。

 こんな論文を巻頭から一生懸命読んでいては、命がいくつあっても足りないでしょう。

(その2)に続く