2019年10月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

好きな和歌 弐

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大伴家持 天平勝宝二年三月一日の暮に、春の苑の桃李の花を眺矚めて作る二首

・春の苑くれないにほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ(万葉集十九巻 四千百三十九番)
・わが園の李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも(同 四千百四十番)
(はだれの:はらはらと降る雪)

 昭和40年代、友達と奈良に行った際、近鉄奈良駅ビル最上階あった奈良の史跡案内を目的としたガイダンス施設「奈良歴史教室」に立寄りました。
 入場券を買い展示室に入ると、入口扉横の壁の上に「奈良時代装束の乙女五・六人が梅林を逍遥する様子を描いた大きな絵」がかっていて「天平勝宝二年三月一日(750年4月15日)に作られた 春の苑・・」の歌を再現したと書かれたキャプションが添えられています。
 小生はこれを見て、
「鹿も居眠りしそうな陽春の夕刻、梅林を楽しげに歩く無邪気な乙女を詠んだこの歌こそ咲く花の匂うがごとき奈良の都にふさわしい」
と、とても気に入っていたのですが、後になって当該歌は家持が越中国守として同国の国府(現高岡市)に赴任していた時のもので、下照る道に現れたのも「越中乙女」であることを知ることに・・。
 それから遥に時が流れた先日、久しぶりに書架から万葉集を降ろし斜め読みしていると、四千百三十九番が目に留まったので、口ずさみながら往時を回想していたのですが、続く四千百四十番に目が移った時、
 「二首は同日に作られたので、桃と李が一緒に開花していたことになるが、李の開花は桃より早かったのでは?」
と思いついたので、早速調べてみると、
 富山県農林総合技術センターの記録では「一般的に桃は近畿・北陸では3月下旬から4月上旬にかけて開花するが、あかつきという品種の桃の県内での平均開花日は4月13日頃、しかし2011年には4月17日に開花した」
と記されていました。
 李については「おばあちゃんのひとりごと∞」というブログで、
 「富山県射水市足洗潟公園の李の花は2017年4月6日には3分咲きから8分咲だったが、前年の4月8日はもう終盤だった」
とあり、富山県でも李が桃より先に開花するようです。
 二首を比べると、下の道が赤く照り映えていることから桃は「開花期」で花は沢山残り、李は花弁が庭の残雪と紛れていることから「落花期」に入っていたのではないでしょうか?
 とはいっても、これは桃李の品種や気候が現在と違う奈良時代のことなので、確信は持てません。
 「越中乙女が逍遥した梅林は奈良の都と比べると少しばかり肌寒い風が吹いていた」
あたりでとどめておくのが無難かなと思っています。