阪神・淡路大震災(2) 最初のルミナリエ

 最初のルミナリエは地震の年の12月に行われました。

 会場の大丸南側の通りはでこぼこが多く、建物の窓もすすけていました。シートに囲まれた修復中のビルや更地もあり、地震から1年たたない厳しい現実がそこにはありました。

 仮設や避難所から見物に来た人も多かったのでしょうか、コート姿より防寒着やダウンジャケットを着た人が目立ちました。アーチの電飾も2回目以降に比べると随分地味で暗いものでしたが、柔らかな光が震災で彩(いろどり)を失った街をつつんでいました。

 ルミナリエは地震で亡くなった人に捧げる燈明だという共通認識があったからでしょうか、大声ではしゃぐ人はいませんでした。人の流れの乗って歩いていると、思いのほか早くアーチを通り抜けてしまいました。名残惜しいので、振り返って見物客を眺めていると、一人の老人が幼稚園くらいの女の子の手を引いて黙って歩いていました。この子の父母や兄弟たちはなぜ一緒にいないのでしょうか?アーチを見上げて泣いている中年女性もいました。彼女はなぜ一人で泣いているのでしょうか?

 ルミナリエは被災者に安らぎと勇気をあたえる光のエネルギーでした。惜しまれながら閉幕し、アーチが片付けられ、年が改まり、震災一周忌がすんで、春に向かう頃、ようやく復興の足音が高まってきたような気がしました。