日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
バリ点描 その5 ケチャ
1972年「芸能山城組」というグループが「バリ以外で初めてケチャを上演した」というニュースがあり、テレビでも上映されましたが、にぎやかなだけで良さが分からなかったので、ツアー中のケチャ上演も期待しませんでした。
当日、各地の史跡を廻り、夕方、車が到着したのはSERAVA BUDAYAという客席に1000人以上入りそうな大きな民族芸能劇場ですが、観客は僅か14人というさみしさ!
ツアーガイドに聞くと「夏休みが終わって団体客旅行が減り、観客も激減した」とのこと、シーズン中の駐車場は観光バスで溢れ、客席も満員だったようです。
さて、上演時間が来て、舞台中央の燭台に火が燈され、御祈りが捧げられると、アーティスト達が舞台に登場。
四方に陣取った男性メンバーが唱える「チャッ、チャッ」という掛け声に合わせてインドの叙事詩「ラーマーヤナ」が演じられますが、メンバーの位置は固定されているわけではなく、物語展開の緩急、大小のリズムに従いイワシの群れのように動きます。
内容は、悪人ラワナにラーマー王子の元からさらわれてしまったシーター姫を、サル軍団の援軍を得てと王子が救い出す物語で、途中、おどけ者の猿が客席に来て英語で話しかけたりもしました。
「ラーマーヤナ」が終わると、二人の少女による優雅で美しい「天使の舞」があり、最後に舞台に火が放たれ、少年がそれを飛び越えたり、火渡りをする舞をもってステージは終了。
配られた日本語の解説パンフのおかげで内容もよくわかり大満足、バリの文化は奥が深いようです。
20251123 今年11回目の釣行
11月23日(日)今年最後の釣行は、熱中症以来遠ざかっていた塩屋防波堤です。
現地に到着し釣座を決め、最初はノベ竿脈釣りからスタート、しばらく魚信はなかったのですが、15分くらいした時、小さな魚信があったので合わせると、根掛したような強い引き!片手だけでは竿が起こせないので、左手を添えて竿を立てると17cmクラスの大きなキュウセン!
その後は次々、魚信があり10cm以上の良型が続く中で・・竿先に違和感があったので、カラ合わせをすると、再び強い引き!左手を添えて19.5㎝の青ベラを釣り上げました。
大きな魚ほど魚信が小さく、カラ合わせで釣れることが多いのは、成長するにつれて、釣針から静かに餌をかすめ取る技術が向上するからでしょうか?
1時間ほど魚信が続き、リール竿で穴釣り、チョイ投げも行い、4時間で青ベラ2尾、大きめのキュウセン3尾、中くらいのキュウセン7尾、ベラ4尾、アブラメ新子1尾(オヤビッチャ、スズメダイ、河豚は放生)の計17尾を持ち帰りました。
期待通り、塩屋は大型が釣れます。
ノベ竿はよく曲がり釣味は良いのですが、手持ちが細く腕が疲れるのが弱点で、テープを巻いて補強しなければなりません。
今年は11回釣行「リールが動かない」「竿が折れた」「熱中症になりかけた」などの「黒回」もありましたが、初回からそこそこの釣果があり、順調な1年でした。
来年も豊漁を期待しましょう。
20251112 今年10回目の釣行
20251030 今年9回目の釣行
バリ点描 その4 キンタマニーの蜜柑
キンタマニー高原はバリ島北部にあるバトゥール山外輪山に広がる避暑地で、外輪山上に立地する展望レストランから見下ろす光景は山と湖(バトゥール湖)の対比が箱根山と芦ノ湖の光景とよく似ていますが、違うのは湖の西にある生々しい溶岩流で、地表には全く草木がありません。
その中で草木が茂っている島のようなところは、高まりだったため、溶岩から逃れた場所のようです。
以前、見たテレビ番組で富士の樹海の中にも溶岩流から逃れたマウンド上地形があることが紹介されていました。
ところで、高原に登って来ると下界では全然なかった蜜柑を売る屋台が多数出現します。
小さなバケツに山盛りいっぱいの蜜柑が売られていて「こんなに多いと帰国までは食べきれないな」と、買うのを諦めたのですが、幸い下界の店で十個入りパックを購入・・。
皮は簡単に向け、口に入れると温州蜜柑とオレンジの味が混ざった素敵な味がしました。
20251023 今年8回目の釣行
バリ点描 その3 水の寺院
前回の旅行では、ヒンズー教寺院3カ所(タマン・アユン、タナ・ロット、ウルン・ダヌ・ブラタン)を訪れましたが、今回は以下二寺を訪れたので印象を記したいと思います。
1 ゴア・ガジャ
人気観光地ウブド近くの山中にあり、創建は11世紀に遡る洞窟寺院ですが・・廃絶し歴史の表舞台から消え・・・1923年オランダ人により発見されたそうです。
さて、駐車場に着き、長い階段を下りると・・谷底の岩壁に洞窟が穿たれていて、周囲は装飾に囲まれています。
暗い洞窟の中は、進入路と左右の分岐路からなるT字型をしていて、壁に何カ所かある浅い窟にヒンズー教の石像が安置され、お供えが置かれていました。
洞窟の手前に石像寺院の部材が列状に置かれた一角があり、ガイドの話では元ここにあった石像寺院が地震で倒壊したため、部材がここに集められているそうです。
女神ウィジャダリの沐浴場も1954年に発見された遺跡で、元は7人の石像女神のへそから水が噴出し、下のプールに溜まるようになっていましたが、中心の女神は地震で壊れて撤去され、現在6人になっています。
へそから流れ出るきれいな水を見ながらどこかに似た場所があったと記憶を探るうちに・・・思い出しました・・清水寺です!・・・舞台からずっと下に降りた谷底にある「音羽の滝」・・屋根上の樋から落ちる滝の水を柄杓で掬い手を濯ぐ光景が目に浮かびました。
2 ティタ・エンプル
10~14世紀に建設されたヒンズー教寺院で、聖なる泉が建立の起源になっています。
ゴア・ガジャでは一般人の沐浴はありませんでしたが、ここでは寺院の前にある大きな沐浴場で沢山の人が沐浴していました。
ほとんどがオーストラリアから観光に来た白人らしく、白人専用プールのような状況です。
受付で御布施を払いサロンのような沐浴衣を借り、沐浴した後、御供えを祭壇に添え、建物内で僧侶に、御祈りをしてもらうようです。
日本で水行というと、頭まで海水に潜る禊、寒中に行われる滝行や寒稽古など厳しい修行の印象がありますが、ここでは、和気あいあい、談笑しながら沐浴していました。
バリ点描 その2 サカミュージアム
旅行の出発前、家内がアヤナリゾート内のサカミュージアムの情報を得て、ぜひ行きたいということなので、オプションツアーのない日に訪問することにしました。
10:00過ぎ、旅行会社がサービスで出しているリゾート巡回バスでホテルを出発、アヤナリゾートはバデゥン半島の切り立った崖を登った台地上にあるので、バスは深い渓谷に刻まれた険しい坂道を登って行きますが、谷底にはゴミがたくさんたまっていて、リゾートの暗部を示しているようでした。
坂を登り切り、平坦地をしばらく進むとアヤナリゾートの入口ゲートがあり、バスは、そこをくぐって敷地内に入ったのですが、森に囲まれた広大な敷地内をいつまで行ってもバスストップのあるホテル前に着きません。
そのうち左手にサカミュージアムが見えてきましたが、バスはそれを横目にどんどん進んで行き、2分くらい走ってようやく台地の端にあるホテルに到着。ここには崖からせり出した有名なロックバーがあります。
ミュージアムは、大分手前だったので、仕方なく「歩いていくか」と決心した時、屋根だけで壁のないトロッコ列車のようなリゾート内巡回バスがやって来ました。
運転手に「サカミュージアムに行くのか?」聞くと「OK」だったので乗車、ミュージアム前で降ろしてもらい、建物を見るとバリの住居を模した近代建築が、森や池に抱かれて周囲に溶け込んでいます。
入口を入ると受付横にヒンズー神像があったので、文化財の展示が中心かと思ったのですが、スロープを登って2Fの展示場に入ると、巨大で奇怪な現代美術の神像が何体も展示されていました。
キャプションを見るとこれらは、新年の祭り「ニュピ」で巡行される悪霊像「オゴオゴ」と記されています。構造は「ねぶた」と同じ「張りぼて」ですが、顔の表情、肌の艶が実にリアルで、まるで「生き人形」のようです。
別室内に設置されたドームの床に寝転び天井に映し出されるバリの1日映像や、1Fのホールの大型スクリーンで投影されるニュピの記録映画(各国語のアナウンス付き)も大変よくできており、長時間上映なのに退屈しません。
さて、本来の「オゴオゴ」は、行事が終わると燃やされるそうですが「青森ねぶた」も昔は海に流されて火をかけられたそうで「弘前ねぷた」は今でも巡行が終わると燃やされるので「オゴオゴ」と「ねぶた」には共通性を感じました。
観覧後、親切な受付係にタクシーを呼んでもらい、クタビーチのモール「ビーチウオーク」まで行き、昼食、その後、モール内の食料品店で買ったマンゴーが、安値なのに大変美味だったことを付け加えておきます。
バリ点描 その1 風の香り
先日、往復の機内も含めて6日間(当初は5日間だったんですが、伸びた理由は後述します)バリに観光旅行に行ってきたので、思い出をつらつらと記したいと思います。
さて、小生が初めて訪れた東南アジアの国は、フィリピン・マニラでした。40年前、陶磁器調査のために国立博物館に一週間通いましたが、朝夕の往復路でスリにあったり、若者の蛮勇で治安の悪いエリアに探検に行ったところ、偶然会った日本人に「ここから、すぐ立ち去るよう」にきつく言われ、あわてて逃げ帰ったり・・・。
危険な日中?を過ごし、夕方、安ホテルに帰って、レストランでくつろぐのですが、そこの客は大半が米兵なので、東南アジア気分は味わえず・・・。
その後、遺跡調査やシンポジュウムに参加するため何度もインドネシアに入国しましたが、スタッフとして役割を果たさねばならない責任感から、風土に親しみ、地元文化をゆっくり楽しむ余裕はありませんでした。
現職生活を終えると、観光旅行に行くようになり、バリも2回訪れました。前回、前々回も多分「今回のような気分」を感じたと思うのですが、帰国するとそこそこ忙しいパート生活の中で忘れていたのでしょう。
3度目のバリに着き、空港を出て、重い香料とヤシ油の入り混じった強い香りが、風に運ばれて来ると「ああ、これだ・・これこそが、自身をこの地に引き寄せるのだ。この風に包まれるために何度もここを訪れるんだ」と、たちまち、懐かしさが甦り、陶然として・・・迎えの車に乗ることも忘れてしまうほどでした。(続く)
20250909 今年7回目の釣行 呪いの幽霊船
前回の釣行で折れたノベ竿の代わりを購入し、塩屋でデビューさせようとJR神戸駅から進行、餌屋のある須磨に着き海を見ると、西向きの巨大コンテナ船が長田沖あたりに浮かんでいます。
南からの光の陰となる船体は暗く、まるで幽霊船のようですが・・・どうやらこれが地獄の一日を告げる凶兆だったようで・・。
駅を出ていつもの餌屋に11時半頃に着いたのですが・・なんと、臨時休業!!・・・・
・・・・・・・?・・・むなしく駅まで戻りながら餌を常備している「海釣り公園に行こうかな?」と考えたのですが・・「火曜は休業日」だったことを思い出し・・・「それなら、餌屋のある朝霧かな?」・・「でも、釣り場の大部分が立ち入り禁止になっていたし」・・結局「垂水まで行き餌を買い、戻って来て塩屋に行く」と、決めました。
須磨駅で海を見ると本来なら明石海峡くらいまで進んでいるはずの幽霊船がまだ長田沖に停泊しています!
・・・いやな予感をはっきり感じながら、西明石行きに乗車、垂水に着いたのですが、餌屋は駅の東、福田川の向こうにあるので、新設された図書館の横を10分ほど歩き到着したのですが・・・いつも使う石ゴカイが売り切れで青虫しかありません!
・・仕方なく青虫を購入して、店を出る時、店員がかけてくれた「一番暑いときに行くんやね」という言葉にまたまた嫌な予感が・・・。
炎熱の道を駅まで戻り・・塩屋に引き返し、海辺に出たところ、防波堤に降りる梯子の下部分が取れて隣接する川の底に沈んでいます。
・・・悪魔の深淵に引きずり込まれて行くダメージなのか、体が重くなり、顔がすこしほてってきました。
しかし、防波堤に降り、釣り座を構え、ノベ竿でミニチャリを釣り上げると、体調が回復してきたので、投げ竿も投入し、テトラの穴釣りでキュウセン、ベラをゲットしたところで・・・顔のほてりが急激に悪化してきました。
「やばい、これは熱中症かもしれない」と、梯子が沈んでいる川を渡り反対側の日陰に入ってみたのですが、風もなく、全然涼しくありません。
さらに頭全体が熱発、立ち眩みもしてきたので、矢も楯もたまらず、釣竿もクーラーも打ち捨てて、防波堤を脱出、国道を渡って、山陽電車高架下にあるコミュニティバスの待合室に逃げ込みました。
ベンチに座り、頭の熱を下げるために「汗が染み込んだ麦わらをうちわ代わりにして顔を扇ぐ」という、生まれて初めての経験を15分くらいしたでしょうか。
ようやく頭の熱が取れてきて・・さらに10分程すると、立ち上がって歩く気力も出てきたので、防波堤に戻り、道具を片付けて撤収・・・・駅にたどり着くと上着もズボンも水を被ったように濡れていました。
エアコンの利いた電車が須磨駅に停車した時、海に目をやると幽霊船は依然、長田沖に停泊中。
「幽霊船の祟りはまだまだ続くかも?」という予感は恐ろしいことに実現することになるのです・・それは・・・、
疲れ切って、帰宅すると、注文していた染付茶碗の入った不自然に大きな箱が届いていました。
「大そうで慎重な人がクッションを沢山いれた箱で送ってきたもんだ」と笑いながら開けると箱ピッタリの「大きな染付鉢」が出てきました!
注文する時、寸法を間違っていたようで、必要性があまりない大鉢を手に入れてしまいました・・泣・・、
気を取り直そうとシャワーを浴びて、体重をはかると・・なんと2㎏も減っています。
当日朝から1リットル入りのペットボトルを携行し、全部飲み切ったのに、一度もトイレに行かなかったことを考えると、3リットル分位汗をかいたことになり、脱水症状に違いありません。
アウトドア人間を自称し、「水さえあれば、どんな暑くても大丈夫」と豪語していたのですが、体力を過信せず、酷暑を避けなければならない年齢になったようです。












