日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
「豆アジ」の季節
7月中旬、「舞子で20㎝クラスのサヨリがあがっている」との情報が入ったので、早速下見に行くと多くの釣人が「サヨリ仕掛」を降ろしているのですが、釣果はゼロで、魚影もありません。
しかし「豆アジ」は数え切れないほど群泳していたので、翌週「豆アジ」釣りに出かけると2時間で50尾近い釣果を得、さらにその2週間後の釣行では3時間で100尾近くを釣上げました。
さて、この釣りでは「疑似針6本」の「サビキ」を用いますが、魚を全部の針に乗せようと欲張って「仕掛け」を長く沈めておくと、針に乗った多くの魚がそれぞれ違った方向に動き回り、釣糸がもつれやすくなります。
それを防ぐためには、まだ1~2尾しか乗らないうちに仕掛けをあげる必要があり、結果的には「最初の魚信でリールを巻き、魚を取り込み、手返しよく仕掛けを降ろす」という「単調でせわしない釣り」になってします。
また、秋になれば成長して「一人前?」の大きさになるのに「子供のうちに釣ってしまうのは、資源保護の面からも問題がある」という御批判もあるでしょう。
しかし、10㎝以下の「豆アジ」は「ゼンゴ」をつけたままでも短時間で「から揚げ」に出来、「南蛮漬にすると飛び切りおいしい」という大きな魅力がある上、夏の初めになると、明石海峡に臨むほとんどの港では「豆アジ」の群泳が見られるので、「少しくらいいただいてもいいか」と自分に言い聞かせながら毎年釣行してきました。
ところで、彼の魚も8月下旬になると「南蛮漬」にするには大きすぎる10㎝以上に成長するため、(刺身や一夜干しに最適な)20㎝程度になる10月まで「アジ釣り」は休みにしています。
「目の健康講座と壬生狂言」(第2部)
第1部の終了後、短い休憩を挟んで第2部「壬生狂言」の幕が開きました。
壬生寺の「定期公演」では「鰐口」「笛」「太鼓」で構成される「囃し方」は舞台となる大念佛堂の奥に控えていますが、今回は舞台の上手に並んでいます。やがて聞き覚えのある単調な演奏とともに劇が始まりました。
最初は源頼光と家来が酒宴をする場面で、酒宴が終わり家来が袖に下がると入れ違いに「土蜘蛛」が舞台に現れ、頼光に襲い掛かります。
頼光が攻撃をかわし一太刀浴びせると、傷を負った「土蜘蛛」は逃げ去り、再び舞台に現れた家来達に頼光が「土蜘蛛」退治を命じるところまでは「能の土蜘蛛」の展開と同じようです。
「能」ではその後「引幕」となり「舞台の設え」が替わるまで「間(アイ)」が幕前で「間(アイ)語」りを行って時間をつぶし「設え」が替わり、幕が開くと「土蜘蛛」は古墳の横穴式石室のようなところにクモの巣を張って潜んでいます。
「壬生狂言」では命令を受けて「土蜘蛛」の本拠地にやってきた家来たちが、暗闇の中、松明をもって居場所を探す歌舞伎の「暗闘(だんまり)」のような場面が長く続き、ついに姿を見つけて打ちかかると「土蜘蛛」は糸を何度も投げて抵抗します。
糸が投げるたびに客席は大いに沸き「能」にない「家来が土蜘蛛の首をあげる」演出には拍手喝采がおくられました。
演目が終わり演者が橋かかりを通って退場するまで咳き一つ聞こえない武家の式楽「能」と庶民の芸能「壬生狂言」では客席の反応には違いがあるようです。
終演後、主催者による閉会の挨拶がありましたが、講演をしたドクター2名も最後まで鑑賞していたようで、主催者と並んで御辞儀をしていました。