日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
好きな和歌 壱
京極為兼 沈み果つる入日の際にあらわれぬ霞める山のなお奥の峰 (風雅和歌集所収 現代仮名遣いで表記)
現代語訳 夕日が山の端に沈みきった時、その向こうに「夕闇に霞む山塊」が見えさらにその奥に「屹立する高峰」が現れた。
風巻景次郎「中世の文学伝統」(岩波文庫)に所収された同和歌に邂逅した時、全身が震えるような感動を覚え、この光景は「寒風山から見る石鎚の霊峰か、いやカンチェンジュンガから臨むエベレストの高峰だ」などと夢想して喜んでいました。
同氏によると、鎌倉時代末期、藤原定家の曾孫にあたる「大納言 京極為兼」を中心とする歌人グループ「京極流」が存在していて「同流」の和歌の特徴としては、
「夕方時の光線の中で景色を見る」
「大気と外光の陰影を伴った自然を歌にする」
ことがあげられ、代表的作品として表題の歌が示されています。
小生は「作者の為兼とはいかなる人物か」を知るために「土岐善麿氏」と「今谷 明氏」の著書をネット通販で取り寄せ、読み進めると、当該歌について土岐氏は、
「二条為世(註1)などには逆立ちしてもこういう歌はつくれまい」
今谷氏は、
「千古の絶唱」
と激賞していて、大変うれしく思いました。
さて、それからしばらくしたある夜のこと、なんと「当の為兼卿が夢に現れ、小生に話しかけるという仰天の出来事」がありましたのでここに紹介したいと思います。
なお卿が現代語で話すのは不自然さがありますが、夢ということで御容赦ください。
為兼卿 少しばかり、話したいことがあってここに来た。しばらく時間を拝借したい。
さて、貴殿は近頃「還暦を過ぎたからゆるゆる生きる」とか「研究はペースダウンする」などと怠けたことを言い、若き日「奥の峰」を目標に勉学に勤しんでいたことをすっかり忘れ、「霞める山」のずっと手前で足踏みしているようだが、いかがかな?
小 生 ・・・・・
為兼卿 日は落ちたといっても、まだ残照で前は見える。夜になれば月も出る。命の続く限り「奥の峰」を目指して研鑽に励むべきではないのか?
小 生 ・・・亜相様(大納言の唐名)私が間違っておりました。心を入れ替え「研究」に励みもう一度「奥の峰」を目指します!!
と、気負って宣言したところで目が覚めました。
為兼卿は、年を取ってすっかり怠け癖がついた小生が真面目に研究に取り組むようにこの歌を送り届けてくれたのです。これほどありがたいことはありません。頑張らねば!!
註1 定家の家系「御子左家」の本流「二条家」の嫡子で、為兼と同じ藤原定家の曽孫であるが、想像力豊かな「為兼」と違い、想像力の乏しい「ゴリゴリの守旧派」と言われる。しかし、歴史的視座からみると、和歌が「文芸」から「風流」に移り変わる分岐点にあらわれた重要な人物であるということができる。