2014年12月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

鉄道の話(2)「大垣夜行の思い出」

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 私は昭和50年代末から平成の初め頃、「自由席」なら東京まで「乗車券」のみで行ける「大垣夜行」をよく利用していました。

 おそらく、昭和58年頃だったでしょうか。土日の二日間、東京で開催された陶磁器の研究会の終了後、東京駅近くの居酒屋により一人で一杯やりました。11時過ぎにはほろ酔い気分で東京駅のホームに上がり、しばらく待っていると、おなじみの「165系電車」が入線してきます。

 当日は乗客が少なかったので、前から3両目の窓際に席を余裕で確保し、網棚に荷物を上げていると、泥酔した青年がふらふらと近づいて来て、私の隣に倒れるように座り、すぐに大鼾をかき始めました。私は、京都から神戸に終電で帰る時、熟睡して、終着駅の西明石まで行ってしまい、始発まで夜明かししたことがあるので、彼を起こして「どこでおりるか?」と聞くと、途切れがちの声で「茅ヶ崎」と答え、すぐまた大鼾です。

 その後もパラパラと乗車があり、席が8割くらい埋まったころ、定時になり、無事発車。これから朝まで東海道線をゆっくりと走ります。いつもならすぐ寝てしまうのですが、1時間以上睡魔に耐えて、「茅ヶ崎駅」到着直前彼を起こし、着くなり引きずるようにして電車から降ろしました。「さて、ゆっくり寝よう、でもその前にトイレ」ということで、トイレのある一番前の車両に向かうと、乗客も大分減って、座席で丸まって寝ている人もいます。

 ところが2両目の端まで来て1両目を見ると座席どころか床にも人が座っており、大変な混みようです、トイレの前にも3,4人が座り込んでいます。これでは、トイレに入る時、床の人に立ってもらわなければなりません。さらに、なんとなく「1両目に入って来て欲しくない」という車両内の空気も感じられたので、後ろの車両のトイレに行くことにしました。「それにしてもなんで、1両だけあんなに混んでいるんやろ?団体旅行かな?」と考えながらもトイレから席に戻るとすぐ 眠りに落ち、目が覚めたのは早朝で、西岐阜を過ぎたころでした。「1両目の乗客も少しは降りて、トイレ前の人も座席に座れただろう」と思い、再びトイレのために前に移動し、1両目を覗くと、そこには信じられない光景がありました。

 なんと1両目の乗客が「過激派」に変身していたのです。全員がヘルメットをかぶり、サングラスをかけ、顔の下半分はスカーフで覆っています。スローガンを書いたプラカードや横断幕もいくつかありました。途中では誰も降りなかったらしく、座席も通路もいっぱいのままです。私はUターンして急いで自分の席に戻りました。私の大学生時代(昭和51-56年)京都の「過激派」は何時も数人で、さみしげにデモを行っていたので、こんなにたくさんの「過激派」を見たのは初めてでした。多分、昨夜、一般人を装った「過激派」100人位が、東京駅で全員一斉に一両目に乗車し、床にも座り込み、車両を満杯にして、1両丸ごと占拠したのでしょう。そして、降車する直前に武装し、プラカード類を荷物からとり出したんだと思います。

 私は、関わり合いにならないよう、ずっと後ろの車両に移動して降車し、隣のホームの「姫路行き快速」に乗り換えました。「過激派」が大垣駅で降りたのか、乗り換えてどこかへ行ったのは不明です。

 何やら白昼夢のような思い出でした。

人気のケーキ店

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 最近、妻のお供で山本通りにある「食べログ神戸市内NO.1」のケーキ屋さんに行ってきました。土曜日の4時過ぎに店につきましたが、ショーケース全体の1/3ぐらいしかケーキが残っておらず、妻が食べたいと言っていた人気NO.1のケーキも有りません。

 店員さんに聞くと11時頃だとだいたい全部そろっているらしいのですが、夕方にはほとんど売り切れるそうです。そんな、話をしているはしからお客がどんどんやってきて、ケーキも飛ぶように売れてゆくので、妻もあわてて注文し、ようやく3個ゲットしました。

 ところで、私が在籍している社会福祉法人は、運用資金のほとんどが公的資金の給付で賄われています。以前いた発掘調査会社でも受注業務の大半が公共事業でしたし、さらにその前にいた滋賀県の外郭団体も発足当初は民間事業も少し手掛けていましたが、私が採用された頃には公共工事ばかりやっていました。つまり現在に至るまで私の給料は全て公的資金(税金)から出ているといっていいでしょう。

 私が納めた税金が一旦財務省に行き、還流されてきて給料になるわけですから別に恥じることもないのですが、私はこのケーキ屋さんのように、お上の世話になることなく、「己の才覚」と「腕一本」で、商売繁盛している人にはたいへん尊敬の念を持ちます。

 春秋の叙勲者を見ると議員や公務員が高位に叙されることが目立ちます。この人たちは経営上の不安要素(ライバル店の出現、材料の値上げなど)が顕在化して生活に不安をきたすことの多い「腕一本」の人たちに比べると、毎月必ず税金から給与を支出されるので、生活の不安を考えずに仕事に打ち込めます。

 「民と官の人間が同じ程度の業績で叙勲される場合、官は生活が安定している分をマイナスして、低位に叙するべきではないか」と私は常々考えるのですが、皆さんはいかが思われますか?

 さて、私は左端の円筒形のケーキをいただきました。見かけも美しく、甘さも丁度よく、評判にたがわぬ素晴らしい味でした。

購入したケーキ

購入したケーキ


私と京都(2) 京都人の苦楽はあれど続いてゆく生活

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 京都市内に住む友人は文具屋の3代目店主でした。4代以前は別の商いだったそうですが、室町時代以来の町衆だと言っていました。京都人は中々本音を喋らないのですが、ある宴会で泥酔し「京都の生活」について述懐されました。話の中で急に「神戸の話題」が出てきたのが意外で印象に残っています。彼は残念ながら数年後に亡くなられました。全ての京都人の生活が述懐と同じかどうかは分かりませんが、この町で代々暮らしてゆくことは、中々苦労が多いようです。

【述懐】

 市内から滋賀県に引越した時「都落ちした」「県民になった」と自嘲気味に語ったり、京都市周辺の農村を「郡部(ぐんぶ)」と呼んで見下す京都人がいます。外に対しては「京都は都で、他は全て田舎」という「気位」を持っている京都人は沢山いるのです。

 反対に内に対して、つまり「地元町内」に対しては「気位」より「気遣い」が大事です。自分の地位や立場に応じた行動を取ることに細心の注意を払い、年中行事や御祭、町内会の付き合い、買い物、学校、仕事など全てで世間の目を気にしながら、目立たず、隠れず、義理を忘れず渡世りしなければなりません。

 しかし、これらのことは親から子へ伝えられ、体にしみ込んでいるので、普段は無意識にこなしながら世間を渡っています。しかし手元不如意で年中行事や御祭りの寄付の工面が難しくなった時や町内の付き合いでトラブルが生じた時、仕事に疲れた時など、無性に神戸に引越したいと思うことがあります。

 神戸は、港町なので誰でもウエルカム、格付けもしきたりもなく、法律さえ守れば自由に暮らせる街です。窓から海が見るし、盆地ではないので風通しがよさそうだし・・・。

 しかし、体力や金力が回復し、付き合いのトラブルも解消されると、また元の日常生活の渦に巻き込まれ、何代も受け継いできた、京都の生活に戻って行くのです。心地いいような、悪いような、河の流れのように、とどまることなく過ぎてゆく生活に・・・。

滋賀県三大美味 その1鮒ずし

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 今治の美味については前に紹介しましたが、こちらに来る前に住んでいた滋賀県にも美味しい食材が沢山あります。中でも「鮒ずし」「近江牛」「鴨」は全国的に有名です。

 最初に鮒ずしについてお話ししましょう。鮒ずしは昭和60年代頃までは滋賀県の多くの家庭で漬けられていました。現場に来る作業員さんが弁当のおかずに「自家製鮒ずし」を入れてきて、分けてくれた時は「一緒に酒が飲みたいな」とか言いながら機嫌よくいただいていました。何かの御礼に鮒ずしを貰うことも多々ありました。

 しかし、材料のニゴロ鮒の漁獲減による価格の高騰、手間をかけて作る人の減少、食生活の変化などにより、鮒ずしを作る家庭は激減し、今では業者が作るものが一般的になりました。「鮒ずしの臭いはきつい」と言われますが、それは製造過程で雑菌が入るからで、業者の作ったものは品質管理がよいので「きつい臭み」はありません。しかし、ほのかな香りしかしない業者の鮒ずしは私には「お上品すぎて」頼りなく感じます。

 鮒ずしの価格は滋賀県ではそこそこですが、美食の都「京都」に運ばれると大変高価な酒肴になります。京都市内の大学に就職したばかりの友人と祇園の居酒屋に入った時、彼が「鮒ずしを注文する」といいだしました。メニューに値段はなく「時価」と書いてあるので、不安になり、強く引きとめたのですが、「初めてだし、どうしても食べる」と酒の勢いで注文してしまいました。出てきたのは向こうが透けて見えるような薄い切身五切!!、値段はなんと五千円!!!、1枚千円もしたのです。

 こんな高い鮒ずしは御免ですが、私は鮒ずしほど日本酒に会う酒肴はないと思います。日本酒はどんな辛口でも、かすかな甘みがあり、杯を重ねると口の中がべたついてきます。しかし、鮒ずしの強い酸味はそれをさっと消してくれるのです。鮒ずしが日本酒の風味をぐっと引き立ててくれることは間違いありません。

 ―冬の夜、「冷蔵庫に入れると中の食品全部に臭いが移ってしまうついてしまう」くらい強烈な臭いの「自家製鮒ずし」を肴に「白磁の杯」に「刈穂」を注いで静かに飲む―

 こんな幸福な夢をみました。夢で臭いがするかって? うーん、不思議なんですが、ちゃんとするんですね。ほんとに!!

黒髪の 乱てけさは

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 なかゝらむ 心もしらす 黒髪の 乱てけさは 物をこそおもへ

 百人一首で最も官能的だと言われている歌です。寝乱れた長い髪のまま、後朝(きぬぎぬ)のさみしさと不安に思い悩む女の姿を想像するとどんな石部金吉でも心がときめくでしょう。読み人は「「待賢門院」の侍女である「(待賢門院)堀川」です。2年前の大河ドラマでは、元々美女の誉れ高い「待賢門院」は、やはり当代随一の美女「檀れい」が演じていましたが、容姿については特別のことは伝えられていない「堀川」も和歌の影響でしょうか?配役は美人女優の「りょう」でした。坊主めくりを卒業し、百人一首を始めた時から「・・黒髪の乱れてけさは・・」なんて「随分色っぽい歌やな」と感じていて、暗記したのも早く、私のオハコのひとつでした。

 平成8年、遺跡調査のため初めてインドネシアを訪れました。遺跡周辺の村人は全てイスラム教徒で、女性は「からだの線と髪の毛を隠すように」という教えのため、全員、長袖にロングスカートかバティックのサロン、頭巾をかぶり、手と顔以外の肌は露出していません。小さな女の子がこの格好をするとちょっと「ませて」いるようでかわいいのですが、大人の女性の場合、どんなに顔立ちが整っていても、顔と手だけでは「女性的魅力」をまったく感じません。文化大革命の頃の中国では、男も女も人民服を着ていましたが、女性にはそれなりの魅力を感じたことから「女性の魅力を引き立てる最大の要素は髪だ」ということがよく分かりました。

 あれから、20年近くたった最近になって、ふとしたことから「女性は自身の髪のことをどう思っているか?」について考えました。

 近所の商店街200mほどの間に散髪屋は2軒程ですが美容院は10軒もあります。多くの男性は髪が延びたら元に戻すためだけ散髪屋に行きますが、多くの女性は「自身の魅力アップには髪の手入れが常に必要だ」と思って美容院に通うことが、店舗数の差になっている、というのが結論です。(当たり前すぎて改めて言うほどのことでもありませんが)

 男女の認識の違いは、「髪をカットしてきて気分が高揚している妻」と「それに気付かない夫」という対比を生み、それを何度も繰り返すうちに夫は「駄目亭主」として没落していってしまうのです。

今シーズン最後の釣行

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 30代の頃までは、真冬日だろうが吹雪だろうが釣りに行きました。しかし、冬場は魚の活動も低調でボウズも多いので、近年釣りシーズンは11月末までとしています。今年は11月29日が最後の釣行となりました。釣果は磯ギザミ、ギザミが合わせて10尾、アジ1尾で、最後の釣行としてはまあまあの数でした。春には小さかったギザミ類もそこそこのサイズに成長していました。

 

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      今年最後の釣果です。