2016年9月

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

3.ヒアリング(その2)  -ヒアリングでの約束は何処へ-

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平成10年代のある年

 上司は「年度初めの形式的なヒアリング」の終了後「近々同僚のA君に現場を任せるつもりだ」と、話しました。

 「A君は年も若く、現場経験も多くないので、一人では不安があります。まだ担当現場が決まっていない私がサポートに行きましょうか?」と提案したところ「A君は随分成長してきたので、一人で大丈夫、行く必要は全くない」とのお言葉。一抹の不安を感じながらも「分かりました」と言って引き下がりました

 程なく私の現場も決まり、現地調査に入った矢先、上司から「A君が行き詰って現場管理が出来なくなった。応援に行ってくれ」との連絡。

 「自分の現場が始まっているので無理です」と断わったところ、「君の現場には代わりの人間を行かすから」と言うので、「代わりは誰ですか?」聞いてみると「A君よりもさらに若く、たよりないB君」の名が出たので、「私の現場をB君に任せることは絶対できません」とA君のサポートは断わりました。その後、A君は何とか一人で立ちなおり、調査も軌道に乗ったことを仄聞しました。

翌年

 昨年度と同じ上司による「年度初めのヒアリング」で「君は今年度、事務所に在勤し、現場に行くことはない。事務の手伝い、整理調査、データ整理をせよ」との命令がありました。昨年のこともあるので何度も確認すると「そんなに僕の言っていることが信じられないのか」と怒らせてしまいました。

 翌日、事務所にはいつもよりうんと早く出勤。机を仕事のしやすいように配置し、パソコンのデータを整理、関係先に挨拶をして、内業を開始しましたが、案の定2か月後、「すぐ現場に行ってくれ」との上司からの電話。「ヒアリング時の命令」をあげて断ると「今回だけ頼む」と言います。それでも強硬に断ると、なんと重役が説得に来ました。

 私は「かたくなな人間」ですからへそを曲げてしまうと、重役であっても言うことを聞きませんが、「重役命令」に逆らってしまったわけですから当然処分が下るだろうと、首を洗って待っていたのに1か月たっても2か月たっても音沙汰がありません。

 「いったいどうなったの?」と思い手蔓を頼って調べてみると、当該現場には役所から派遣された「気難しく、口うるさい業務管理者」がいるそうで、「御機嫌を取るために調査員を加配した方がいいだろう」というアイデアを重役が考え「年長者で不手際がなさそうな小生を行かせるように」と上司に命じたのが、今回の騒動の発端だったようです。

 ところが、小生抜きの現場が始まってみると、管理者は昨年度と打って変わり、いつも上機嫌で、調査もスムーズに進捗するので、加配話はすぐに立ち消えになったそうです。

翌々年

 件の上司は栄転し、私より大分年下の上司がやってきました。年度初めのヒアリングでは「あのー、遠隔地の現場や長期の現場はお嫌いでしょうか?」と緊張しながらも丁寧な口調で質問します。

 「遠隔地でも長期でも何でもやりますよ」と言うと少し安心し「正直言って、気難しい方だと聞いていましたから」などと言うところをみると「小生は上司の言うことを聞かない厄介者」という悪評が広まっているようです。

 「昨年度や一昨年度のことは、上司の筋の通らないやり方に抵抗しただけで、年度初めに変な約束をせず、派遣命令を出していただいたなら、発掘調査だろうが、整理調査だろうが、分布調査だろうが、遠隔地だろうが、海外だろうが、天体だろうが、すぐに準備して出発します」と答えました

 上司はまだ不安そうな顔をしていましたが、その年度は、喜ばしいことに何の問題もなく、無事に終えることが出来ました。

2.ヒアリング(その1) -言い過ぎはいけませんー

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 今回表題にした「ヒアリング」とは「異動や昇格」に反映させるために上司が部下の「意見や希望」を聞くことをいいます。

 小生は、28歳で滋賀県の外郭団体に正式採用され、その後2回転職し、59歳で退職するまで、毎年1回、時には2回「ヒアリング」を受けてきました。しかし「異動」などで自分の希望が叶えられたことはなく、逆にいつも「ヒアリング」で拒否した分野に廻されてばかりだったような気がします。

 近年の「ヒアリング」は後述する「人事考課」や「目標管理」とセットで実施されることが多くなりましたが、昭和から平成の初めにかけては「上司が部下の意見をひたすら聞く」形態が一般的でした。一番印象に残っているのもその頃、ある上司の部下に初めてなった時の「ヒアリング」です。

 当日、彼は開口一番「君のことや考え方はよく知らないから、日ごろ思っていることを忌憚なく話してくれ」と穏やかな口調で言いました。私は自己主張し始めると「とことん言ってしまう性格」で、そのことでたびたび相手を怒らせた経験があるので、一瞬迷ったのですが「性格が穏やかで何時も冷静さを保っている管理職」という職場の評判を思い出し、心中にあることをすべて吐き出すことにしました。

 まず、最初に「急に現場に来るのはやめてほしい、現場は分単位で進んでいて、急に来られると業務の妨げとなり、予定が丸1日遅れたりする」と要望、続けて「指導助言をするときには、まず部下の意見を聞いてから、納得いくように丁寧に話してほしい」「決裁書類はできるだけ早く回してほしい」「上からの意見を伝えるだけではなく、部下の側に立って県や理事長からの理不尽な要求を押し返してほしい」など次から次へと要求をぶつけていると、黙って静かに聞いていた上司の顔が赤くなり始め、こめかみのあたりが震えてくるうちに我慢の限界を超えたらしく大爆発しました。

 上司はまず「ちょっと黙って」と私の発言を制止しました。次に私の顔を「怒りの炎が燃え上がる目」でにらみつけ「言いたい放題言うて、私がどんだけ苦労しとると思うんや」と怒鳴りつけると、強硬に反論し始めました。発言を全部書くと冗漫になるのでやめますが、「骨子」は「自分は部下を思い、事故がなく、有意義な職場環境をつくるため不断の努力をしていること」で、これを何度も何度も強調します。

 やがて自分の上司の批判をはじめ「こんな劣悪なボスの下でも部下を思う一心で忍従していること」をうっすら涙を浮かべながら訴える姿は感動的なほどでしたが、その後話題はまた元の「骨子」に戻り、話し続けていたところ、それを遮るように突然「昼のチャイム」が鳴り始めました。「はっと」我に返った上司は、穏やかな表情に戻り「興奮して私ばっかりしゃべったけど、他に言うことない?」と聞くので、「自分の言いたいことは全部申しましたし、ヒアリングにも堪能しました」と応えました。それを聞いた彼の「ばつの悪そうな顔」は今でもしっかり目に焼き付いています。