今回表題にした「ヒアリング」とは「異動や昇格」に反映させるために上司が部下の「意見や希望」を聞くことをいいます。
小生は、28歳で滋賀県の外郭団体に正式採用され、その後2回転職し、59歳で退職するまで、毎年1回、時には2回「ヒアリング」を受けてきました。しかし「異動」などで自分の希望が叶えられたことはなく、逆にいつも「ヒアリング」で拒否した分野に廻されてばかりだったような気がします。
近年の「ヒアリング」は後述する「人事考課」や「目標管理」とセットで実施されることが多くなりましたが、昭和から平成の初めにかけては「上司が部下の意見をひたすら聞く」形態が一般的でした。一番印象に残っているのもその頃、ある上司の部下に初めてなった時の「ヒアリング」です。
当日、彼は開口一番「君のことや考え方はよく知らないから、日ごろ思っていることを忌憚なく話してくれ」と穏やかな口調で言いました。私は自己主張し始めると「とことん言ってしまう性格」で、そのことでたびたび相手を怒らせた経験があるので、一瞬迷ったのですが「性格が穏やかで何時も冷静さを保っている管理職」という職場の評判を思い出し、心中にあることをすべて吐き出すことにしました。
まず、最初に「急に現場に来るのはやめてほしい、現場は分単位で進んでいて、急に来られると業務の妨げとなり、予定が丸1日遅れたりする」と要望、続けて「指導助言をするときには、まず部下の意見を聞いてから、納得いくように丁寧に話してほしい」「決裁書類はできるだけ早く回してほしい」「上からの意見を伝えるだけではなく、部下の側に立って県や理事長からの理不尽な要求を押し返してほしい」など次から次へと要求をぶつけていると、黙って静かに聞いていた上司の顔が赤くなり始め、こめかみのあたりが震えてくるうちに我慢の限界を超えたらしく大爆発しました。
上司はまず「ちょっと黙って」と私の発言を制止しました。次に私の顔を「怒りの炎が燃え上がる目」でにらみつけ「言いたい放題言うて、私がどんだけ苦労しとると思うんや」と怒鳴りつけると、強硬に反論し始めました。発言を全部書くと冗漫になるのでやめますが、「骨子」は「自分は部下を思い、事故がなく、有意義な職場環境をつくるため不断の努力をしていること」で、これを何度も何度も強調します。
やがて自分の上司の批判をはじめ「こんな劣悪なボスの下でも部下を思う一心で忍従していること」をうっすら涙を浮かべながら訴える姿は感動的なほどでしたが、その後話題はまた元の「骨子」に戻り、話し続けていたところ、それを遮るように突然「昼のチャイム」が鳴り始めました。「はっと」我に返った上司は、穏やかな表情に戻り「興奮して私ばっかりしゃべったけど、他に言うことない?」と聞くので、「自分の言いたいことは全部申しましたし、ヒアリングにも堪能しました」と応えました。それを聞いた彼の「ばつの悪そうな顔」は今でもしっかり目に焼き付いています。