なかゝらむ 心もしらす 黒髪の 乱てけさは 物をこそおもへ
百人一首で最も官能的だと言われている歌です。寝乱れた長い髪のまま、後朝(きぬぎぬ)のさみしさと不安に思い悩む女の姿を想像するとどんな石部金吉でも心がときめくでしょう。読み人は「「待賢門院」の侍女である「(待賢門院)堀川」です。2年前の大河ドラマでは、元々美女の誉れ高い「待賢門院」は、やはり当代随一の美女「檀れい」が演じていましたが、容姿については特別のことは伝えられていない「堀川」も和歌の影響でしょうか?配役は美人女優の「りょう」でした。坊主めくりを卒業し、百人一首を始めた時から「・・黒髪の乱れてけさは・・」なんて「随分色っぽい歌やな」と感じていて、暗記したのも早く、私のオハコのひとつでした。
平成8年、遺跡調査のため初めてインドネシアを訪れました。遺跡周辺の村人は全てイスラム教徒で、女性は「からだの線と髪の毛を隠すように」という教えのため、全員、長袖にロングスカートかバティックのサロン、頭巾をかぶり、手と顔以外の肌は露出していません。小さな女の子がこの格好をするとちょっと「ませて」いるようでかわいいのですが、大人の女性の場合、どんなに顔立ちが整っていても、顔と手だけでは「女性的魅力」をまったく感じません。文化大革命の頃の中国では、男も女も人民服を着ていましたが、女性にはそれなりの魅力を感じたことから「女性の魅力を引き立てる最大の要素は髪だ」ということがよく分かりました。
あれから、20年近くたった最近になって、ふとしたことから「女性は自身の髪のことをどう思っているか?」について考えました。
近所の商店街200mほどの間に散髪屋は2軒程ですが美容院は10軒もあります。多くの男性は髪が延びたら元に戻すためだけ散髪屋に行きますが、多くの女性は「自身の魅力アップには髪の手入れが常に必要だ」と思って美容院に通うことが、店舗数の差になっている、というのが結論です。(当たり前すぎて改めて言うほどのことでもありませんが)
男女の認識の違いは、「髪をカットしてきて気分が高揚している妻」と「それに気付かない夫」という対比を生み、それを何度も繰り返すうちに夫は「駄目亭主」として没落していってしまうのです。