日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
令和5年 懐旧旅行 巨石→尾道
2023年12月24日(日) 大元神社→尾道市内
朝7:30に起床し8:00出発、JR福山駅から西行し、尾道で下車。構内のカフェでモーニングを食べ、海を見ると小さな漁船が岸近くで網を引いていたので、しばらく見ていましたが、丸ハゲ1尾しか掛かっていませんでした。
駅前のバス停で30分ほど待ち、因島行きのバスに乗り込みましたが、びっくりしたのは交通系カードが使えたこと、四国や山口県ではまだ使えないのに・・。
尾道大橋を渡り、向島に上陸「尾道大橋バス停」で降り、幟の並んでいたジグザグの参道(当日は幟はありませんでした)を山上まで登り、そこに鎮座する大元神社に参拝、境内の隅にある目的地へ向かいます。
ついに「巨石」に到着、ずっとバスから眺めていた巨石は前に立ってみるとさすがに大きく圧倒されましたが、意外なことに縦に大きく割れており、割れ目には不動明王らしい摩崖仏が刻まれていて、奥には小さな祠があったので、お参りしてから摩崖仏をじっくり観察し、向島の港の見える眺望を堪能し下山、バスで尾道市内に戻りました。
丁度昼時だったので、商店街入口のラーメン屋で尾道ラーメンを食べて、商店街を西に向かいます。
尾道は今治時代に千光寺の展望台に行ったことがありますが、街中を散策するのは初めてで、まちなか文化交流館では、市内の景色を題材とした学生絵画展を見て、尾道商業会議所記念館、おのみち映画資料館を見学したところで。午前中の山登りのためか足が疲れてきたので、駅に引き返すことに・・。
コロナ禍か人口減少によるのか、商店街の店も半分くらい閉まっていて、観光客も少なく、大賑わいだった前夜の福山に比べて、クリスマスイブなのに街に活気がありません。
町はずれの飲み屋街にライブハウスが向かい合わせに2軒、両方から大音量が流れており、若者も出入りしていて、そこだけ活気がありました。
駅に着く頃、日は斜めに傾いて、向かい側のホームに広島行きの観光列車が来て、駅員総出で御見送りをしています。
しばらくしてやってきた岡山行き電車に乗り、終点で新幹線に乗り変えようと降りたところ、オンタイムで相生行き黄色電車が来たので乗車、三石の峠をゴーゴー唸りながら疾走し、相生に着くとすぐに姫路行きに連絡、暇時から新快速に乗り継ぎ、あっという間に神戸に到着、懐旧旅行は無事終了しました。
令和5年 懐旧旅行 今治→福山
2023年12月23日(土)
往時の赴任先今治から大津市に至る道中にも訪ねたかった場所があります。
一つ目は「しまなみライナー」が向島に入った時、左手山上に見える差し渡し10m以上ありそうな「巨石」で、麓から巨石下まで、幟が立ち並ぶジグザグ道があるので「これは参道で巨石は信仰の対象なのか?」
・・と、毎回、推定するも、通過するばかりで参拝は出来なかったのですが、明日はいよいよ山に登ります。
尾道大橋を渡ると福山市内まで続く国道バイパスに入りますが、最後に通ってから8年、もう全通していると思いきや、工事は進捗しておらず、対面通行も残っていました。
バイパスから旧国道に合流、芦田川を渡るといよいよ福山市中心部、国道を左折し、18時過ぎに福山駅前に到着、駅東のビジネスホテルにチェックイン、早速、地図を頼りに二つ目の場所「大国町」を目指すことに・・。
往時、福山から新幹線に乗り、駅を出て東へしばらく進むと、北へ延びる「暗い路面に赤橙色の風船のような街灯が浮かぶ、よさげな通り」があり、一度逍遥してみたいと思いながら、帰宅が遅くなってしまうので寄り道できなかったところです。
期待を胸に新幹線高架沿いにしばらく歩いて、到着した「大国町」の通りは、丸い街灯が照らす石畳道の両側に、戦前から遺存する「古建築」と偽クラシカルな「張りぼて建物」が混在していて「古びたテーマパーク」のような風情がありました。
ぽつぽつ開いている酒肆以外ほとんどの店舗は閉まっていて、人通りもほとんどありませんが、今治商店街と違いどの建物にも人が住んでいる気配があり、街の鼓動が感じられます。
大黒町から新幹線高架南側に続く通りは、北側とは打って変わって、街灯は明るく、植栽が等間隔に並び、所々に休憩用テーブルとベンチが置かれている、現代的で瀟洒な街でした。
逍遙を終え、居酒屋を探しながら、天満屋東側の通りまでに来るとクリスマスイブの前日土曜日と言うこともあって大変な人出で、居酒屋はどこも満員・・さすが県下第2位の都市だと感心しました。
ようやく、街はずれで地味な居酒屋に僅かな空席を見つけもぐりこむことに成功・・一日を振り返りながら・・いつしか酩酊し・・何とかホテルに帰り・・爆睡・・おやすみなさい・・。
令和5年 懐旧旅行 今治にて
2023年12月23日(土)
・今治にて
駅前バス乗り場から営業所行のバスに乗り、御厩通で下車、かつて住んでいたアパート付近の様子に変化はありませんでしたが、最寄りスーパーは昼時なのに客数は減っていました。
今治城まで歩き、堀端に立つ今造社長の銅像を見て、港に向かいます。
途中、いいエサがあると評判だった釣餌屋は廃業!港に着きましたが、ギザミ釣りに通った防波堤は工事のため立ち入り禁止に・・・。
重苦しい空の下、冷たい風が吹かれながら新造のバスターミナルに辿りつきましたが、バスはおらず、綺麗な待合室にも人影はなし。
トタン屋根のチケット小屋と低いプラットホームが数本並んだ旧バスターミナルの方が賑わっていたような・・。
ターミナル内の喫茶店は開いていたので、これ幸いと逃げ込み、ココアを飲んで、冷え切った体も回復したので・・商店街へ向かいます。
商店街入口の土産屋はやっていましたが、その先の店は大半が締まっていて、何より全く人がいません!!
このありさまを見て、言葉を失い、歩きを停めて、この場所についてしばらく考えると・・。
この巨大な無人空間は今治市のブラックホールであることは間違いありません。今治在住当時よりさらにさびれてしまっていることから、賑わいが戻って来ることは考えにくく、いっそのこと商店街全ての店舗を廃し、観光ミカン園に変えてしまうというのはどうでしょうか?
「ミカンは冬のもの、シーズンオフはどうするの?」と言う声もあるかもしれませんが、早生の青ミカンは10月から「愛南ゴールド」などの晩柑は5月まであり、夏ミカンも加えれば通年営業も可能だと思うのですが。
・・気を取り直して、商店街中ほどから、大通りの方へ曲がり、ブルーノート、カネト食堂と、ポエム(権太)本店の営業を確認?大通りを渡り、西へ進むと廃業した「ラヂウム温泉」が壊されることなく残っていました。
玄関横には「登録有形文化財」のプレートが・・これですぐに潰される心配はなし、今治市街唯一の戦前の建物なので有効活用を期待します。
今度は南に歩いて森見町に入ると、往時、行きつけだった居酒屋へ・・開店前でしたが、女将さんの自転車が玄関前にとめてあったので、営業しているようです。
さらに、松本町まで足を延ばし、馴染みだったスナックを探しながら歩き回り、廃業した店、健在な店を確認・・歩き続けて駅に戻り福山行高速バス「しまなみライナー」に乗車しました。
令和5年 懐旧旅行 松山→今治
いささか旧聞になりますが、昨年12月、8年ぶりに今治を訪れ、また、当地にいた頃、行くことのできなかった周辺の名所や旧跡を足を運びましたので、以下に記すことにします。
2023年12月23日(土)
・松山到着
2023年12月22日(金)三宮から松山行夜行バスに乗りこむとすぐに就寝、未明の川内インターで目覚めると、バスはイオン前、石手川、大街道と懐かしい街かどを巡り、松山駅に到着。
しばらくして駅のコンビニが開いたので、パンを買い、待合室でさみしい朝食をすませ、路面電車で松山市駅に。
・則之内(すのうち)
そこで、伊予鉄横河原線に乗り換え、終点まで進行、タクシーで則之内に行き、調査している陶片の生産窯を確認し、待たせていたタクシーで駅に戻り、松山市行きに乗車。
・郡中港、松山
伊予鉄の路線で郡中線だけは乗ったことがなかったので、松山市で乗換え郡中港へ、駅を出て僅かに残る近世の建築物を見て、帰りは伊予市駅からJRに乗車し、松山駅に着くと一番ホームでニューアルした8000系「しおかぜ」の出発式をやっていて、ホーム上には「撮り鉄」、「乗り鉄」が蝟集していましたが、小さな「集音器」を持った「音鉄」は初めて見ました。
出発式を横目に立喰いうどん店できつねうどんを食べ、各停で今治に向います。
・今治へ
伊予北条、菊間、波形、波止浜と駅を通過するごとにその地で体験した想い出が甦り、退屈する間もなく、昼下がりの今治に到着、残念ながら雲は厚く垂れこめていて、温かい車内から出ると、風は冷たく、身震いしました。
又々、又、釣行2題
平成6年10月24日(木) 朝霧
1年振りに朝霧に来ました。ところが、ここでもノベ竿にはミニフグばかり、1時間でかかったのはベラ1尾!
ところが、投げ竿で10mほど投げると、入れ食い状態で、青ベラの19㎝を筆頭に20尾をゲット、カワハギも1尾かかりました。
様子を見に来た近所のおじさんが「昨日はベラが売るほど釣れた」と言って帰ったので、今年はベラが大量発生していることに間違いありませんが、塩屋同様ノベ竿が届く範囲はミニフグが集結しているようです。
令和6年11月10日(日) 塩屋防波堤
ようやく、涼しくなってきましたが、当日はミニフグの襲来を想定して、ノベ竿は封印し、投げ竿を投じると、魚信はあるのですが型は小さめです。
2時間もすると魚信も間遠になったので、穴釣を思い立ち、テトラの穴に仕掛けを落とし込むと、必ず魚信があり、小サイズながらベラが10尾かかりました。
丸ハゲも合わせて20尾になったので納竿。
次回は、新装開店なった、須磨海釣り公園に釣行します。
又々、釣行2題
令和6年9月8日(日) 塩屋防波堤
須磨で餌を購入、11時頃、釣り座を構え、ノベ竿の仕掛けを降ろしたのですが、1時間くらいミニフグばかり、仕方がないので短い投げ竿で10~15m位飛ばすとすぐ魚信が!
それ以降は、着水と同時に魚信があるありさまでしたが、前回同様、暑さに負け14時過ぎに納竿。釣果はベラ13尾、カワハギ1尾、チャリコ1尾、キス1尾でした。
なお、当日の防波堤、アオリイカを餌木で狙う釣り人がいて、小物ですが4ハイ釣っていたのには驚きました。塩屋にもアオリイカはいるんですね。
令和6年10月12日(土)塩屋防波堤
だいぶん涼しくなり、快適になってきました。本日も、11時頃、竿を下ろしたのですが、ノベ竿にはミニフグの攻撃が激しく、昼過ぎに新規に購入した1.8mの投げ竿で仕掛けを飛ばすと、前回同様、途切れることなく魚信が続き14時過ぎまでにベラ19尾の釣果があり、魚をおろす労苦を考慮し納竿しましたが、大物が多く塩屋で最大の20㎝越えのベラもいました。
ところで、投竿は、ノベ竿に比べ竿のしなりが小さく、釣り味は格段に落ちます。
次回は朝霧に行く予定ですが、ノベ竿に多くの魚信があることを期待しましょう。
又、釣行二題
今年3回目の釣行は7月28日(日)塩屋防波堤。
3時間ほどで、釣果はキュウセン11尾と青ベラ4尾。
型も大きくなり魚信も増えましたが、1カ所で1尾釣ると後が続かず、同一ポイントで複数釣り上げることが出来ません。
1尾獲得しては、場所移動ということで、根元から先まで釣り歩きましたが、大きな針(キツネ1号)をしっかり食い込んで上がってきて、食い逃げはほとんどありませでした。
4回目は8月6日(火)引き続き塩屋防波堤です。
今回は、根元でキスが5尾ばたばたと釣れ、続いてキュウセン8尾がほぼ同じ場所で獲得しましたが、前回と違いキツネ1号には全く乗らず、小さな針(サヨリ3号)に変えると大小様々な魚が食いついてきました。
釣りは自然が相手なだけに一筋縄ではいきません。次々変わる自然環境の変化にどれだけ適応できるかで、釣果の多寡が決まります。
それにしても両日ともとんでもない暑さに14時で退散、地球温暖化はどこまで進むのでしょうか?
ドンク三宮本店の閉店
腰痛治療のため通っている鍼灸院の柔道整復師から「ドンク三宮本店が建て替えのため近く閉店すること」を施療中に聞いた時は、ぼんやり聞き流していたのですが・・・帰宅してからふと思い出し・・ビルが立て替えられるということは、店舗2階の喫茶室も当然なくなってしまうことに気づきました。
同喫茶室は、幼少期、祖父に連れられて商船ビル内の歯科に行き、その帰り道「治療中泣かなかった御褒美」に、アイスクリームを食べさせてもらった所で、当時の光景を回想するうちに、懐旧の情を抑えがたくなり、訪ねることに・・。
ここには祖父が亡くなってからも、何回か親に連れて行ってもらったようで、その時は多分十代だったので、この度は50数年振りの入店になります。
さて、店舗に着き、横の階段を上がり、喫茶室のドアを開けると、全てテーブル席だった室内にカウンター席が出来るなどレイアウトは少し変わっていましたが、席に着くと、早速、想い出のアイスクリームを注文。
往時は金属製の小さな高坏状の容器にアイスのマウンドが一つ、頂上にはサクランボ、横にウエファースが添えられるというクラシックなスタイルでしたが、やってきたのはマウンドが二つ、クッキー、棒状のチョコレート、ミントの葉が添えられるおしゃれなスイーツ、硬めで味は濃厚です。
地震があったせいもあり、市内の思い出の場所の多くがなくなり、ドンク三宮本店の喫茶室も夢で見るだけの場所になりました。
釣行二題
連休が明け、釣りシーズンがやって来ました。
初回釣行は6月3日(月)、朝霧市民釣場へ出かけましたが、まだ水温が低いせいか、ノベ竿にはまったく魚信なし、投げ竿にフグ1尾とミニサイズのハゼ2尾という貧果。
しかし、近くで竿を出していた少年がベラ2尾釣っていたことから、冬眠からは覚めているようです。シーズン初日はボウズに近いこともよくあるので、まあ良しということで・・。
2回目は6月12日(水)、最寄りのJR駅に行くと全面運休していて、仕方なく山陽で須磨へ・・餌を購入してJR須磨駅前を通ると上りホームの普通電車が動き出したので、復旧したらしいと判断、下りホームから西明石行きに乗り無事塩屋に到着。
防波堤について竿を下ろしましたが、まだ水温が低いらしく、ノベ竿には当たりなし、投げ竿にキュウセン2尾、青ベラ1尾、アブラメ新子2尾という初回よりはましですが、やはり貧果。
7月になれば水温も上がり食いもよくなることを信じ、4時頃納竿、遅れがちなJRで帰宅しました。
神戸は沼か?
五十年以上前、中学生の小生は実家近くの絵画教室で日本画を習っていました。
生徒の大半は小中学生でしたが、数少ない大人の生徒で教室に来ると先生や生徒に間断なくしゃべりかける「うっとおしい」おじさんがいて、二言目には、
「神戸は景色もよいし、食べ物もおいしい住みやすいところで、ずっと神戸にいたい。大阪や京都に行きたいとは思いまへん」
と言います。
「世間の狭い、しょうもないおっさんや、自分は大阪や東京どころか日本全国を旅して、神戸以上の街を見つけてやる」
と、ばかにしていました。
その後、27歳で故郷を離れ、滋賀に25年、今治に7年住み、愛知や広島、鹿児島などで長期の現場に入ることもあり、59歳にしてようやく帰郷しても、すぐに郷土愛が芽生えるということはなかったのですが、2年、3年と過ごすうちに徐々に「神戸沼」に沈み、最近では前述のおじさんのように、ずっと「沼」に沈んでいたい気持ちが、強くなってきましたので、その理由を述べてみましょう。
- 景色が良い
コンクリートシティ大阪から電車に乗るか、あるいは車で阪神高速を西行し西宮に入ると六甲山脈が南に貼りだしてきます、山腹に街が貼り付いているよう東灘区を抜け、灘区に至ると山裾が後退し、市街地が程よい広さに・・・長田区までその間隔が続き、須磨区になると山脈が海まで落ち込み、まるで南仏やイタリアのリゾートの光景になり・・・ここまで続く山の緑と青い海は、目に優しく、疲れを癒してくれます。
- 気候が良い
京都は盆地のため、大気の動きは悪く、夏は酷暑、冬は酷寒の住環境最悪の街ですし、コンクリ大阪も夏はヒートアイランド現象で一晩中エアコンが必要です。
北に六甲山地、大阪湾がある神戸の中心市街は、昼間は海風、夜は陸風が吹くので、空
気が淀むことがなく、常に新鮮で、他都市より涼しく感じます。
- 適当にさびれている
上記のように住環境は、よいのですが、近年は子育て政策が充実している明石市に人口が流出したりして、北区や西区の団地の居住者が減り、六甲山脈の南側でも過疎化による増えた廃墟を廃墟系YouTuberが紹介しています。
久本市長は三宮付近の再開発をテコ入れにして再浮上を図っていますが、インバウンドでごった返す大阪や京都からやや少なめの人影の行きかう落ち着いた町並みに戻って来るとのどかさに肩の力も抜け・・ここがいい、ずっと住んでいたいと・・・(嗚呼)・・青雲の志はすっかり忘却し、沼に沈んでいくのか?果たしてこれは残念なのか?














