咽郷雑記

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

釣りシーズンも終わりです

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11月22日(水)

 本日は、朝霧に釣行するも、釣果はツバクロ、ミニハゲ、ミニベラ4尾のみ。

 大量のミニフグ攻撃に閉口して早々に退散。水温低下でベラの活動も低調になりました。

11月22日

12月9日(土)

 本年の釣り納めに塩屋へ、釣果はクサフグのみで、ベラはすっかり冬眠した模様。

のべ竿にかかるのはミニフグばかりなので、投げ釣りをしてみると大きなフグが釣れました。

 昼過ぎには肌寒くなり納竿。今シーズンも終わりです。

釣行三題(2)

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 朝霧に釣行、ここは魚影濃厚ですが、型が小さいのが難点で、本日もやや大きめの青ベラが1尾釣れた以外は小型ばかり、小ぶりな丸ハゲも3尾釣れました。

10月4日

 塩屋に釣行。本日から新しい竿をおろしました。以前の竿は8:2位の調子、細く軽いため、風に弱くすぐ撓み、魚信がとりにくいのが欠点でした。新竿は、重いのですが、極端な先調子なので魚信がとりやすく、竿もすぐ立ち、魚も根に入ることがなく上がってきます。

 釣果は赤ベラ、キュウセン合わせて15尾。何れも小型です。

10月25日

11月4日(土)

 本日は11月とは思えぬほどの暑さ、須磨ビーチではビーチバレーの大会をやっていてキッチンカーも沢山出てずいぶんにぎやかです。

 塩屋で、竿をおろすと、小さめのベラに20尾に加え、形のよい丸ハゲ4尾、キスの2尾もゲットし大漁でした。

11月4日(1)

11月4日(2)

釣行三題

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7月26日(水)

 今年の初釣行は舞子の市民釣場に豆アジ釣り。

 昨年以来、買置していたアミエビを消費するための釣行で、やる気のなさが伝わったのか、豆アジ5尾、ミニチャリコ1尾の貧果。

 「初釣行だし、ぼうずじゃなかったのでOK」ということで、餌切れとともに納竿。

8月5日(土)

 今回はベラ狙いで、のべ竿のみ携行して出発。

 11時頃、塩屋防波堤に到着。先客はおらず防波堤の根元で竿を出したところ、ミニチャリコやミニハゲの餌取り攻撃が続くなかで、運悪く?引っ掛かかったミニハゲは防波堤横の川で遊んでいた親子にプレゼントしました。

 その後ようやくキュウセンがかかり始め、2時間強の間にぽつぽつと魚信があり、釣果は15㎝越えが3尾、ミニサイズが8尾、ミニチャリコ3尾というさみしさ。

 今年は毎日暑く、海は日陰のないため、釣りに行くことを躊躇していたのですが、海辺に出てみると常時風が吹き存外涼しく快適でした。

 

2回目 釣果

 

8月20日(日)

 5日同様ベラ狙いで出漁したのですが、5㎝以下のミニベラ、ミニ鯛、ミニエソ、グレ、ミニハゲなど放流サイズばかりかかり、普通サイズの魚信がありません。

 11時過ぎから3時ごろまで竿を振ったのに15㎝クラスのベラ3尾、ミニサイズ4尾、ミニハゲ1尾、ミニチャリコ2尾というありさま。

 隣で投げ釣りをしていた親子が10m沖に投げた竿に25㎝クラスの青ベラがかかり、予備の竿での投げ釣りに色気を出しかけたのですが「脈釣りを極めようとしているのに迷いは禁物」と自戒、程なく納竿し帰路につきました。

3回目 釣果

                                      

 

 

経絡秘孔を突く

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 小生は20代から50代初めまで肉体労働を続けてきた結果、腰や肩の強さには絶対の自信があり、肩痛や腰痛とは無縁でしたが、寄る年波には勝てず60代半ばから、徐々に左肩の調子が悪くなり、正月が明けた頃、ひどい肩痛に襲われ、腕が全く上がらなくなってしまいました。

 仕方なく接骨院に行き、診察を受けると五十肩だと言うので、

 「自分は60代なのに五十肩と言うのは変でしょう」

と反論すると、

 「五十肩と言うのは通称で、本来の病名は肩関節周囲炎と言い、完治まで時間がかかる」

とのこと、

 その日から「マッサージ+針治療」を週2回受け、3週目になると、ようやく肩の高さまで、腕が上がるようになりましたが、痛みと筋肉のこわばりのためそれ以上は上がりません。

 2月入って最初の診察日、担当の鍼灸師が月末で辞めたため、系列の院から助人に来た20代の鍼灸師に初めて診てもらいました。

 彼は十分触診をした上で、

 「今までは激痛がある方の肩の表側に針を打っていましたが、場所を変えて、肩の裏側に打ちましょう」

と肩の裏側に針を打ったところ、針先に小さな爆発があったような未経験のインパクトがあり、

 「これは効いたぞ」

実感した時、

 「さあ、上げてみましょう」

との指示があり、腕を上げてみると・・・。

 何の痛みも抵抗もなく、予期せぬ勢いで「ビヨーーン!!」と上がったので、体が右に傾き、椅子から滑り落ちそうになり、診療室中に聞こえるような声で、

 「あがったよ!!」

と叫んでしまいました。

 小生は腱鞘炎になった時とパソコンの打ち過ぎで首が回らなくなった時にも鍼灸治療を受けましたが、こんな劇的な効果があったのは初めてだったので、

 「針がこんなに効くとは思いませんでした」

と褒めると、

 「五十肩のツボは表と裏にありますが、裏のツボの反応が良かったですね」

と冷静に答えるのを聞きながら「北斗の拳」の

 「経絡秘孔を突く」

という言葉を思い出しました。

 ケンシロウは触診もせず目視だけで「経絡秘孔」を突き、相手を絶命させたり復活させたりする恐るべき能力を持っています。

 彼が鍼灸院を開けば「神灸師」などとほめたたえられ、患者が蝟集し、門前市をなすことは間違いないでしょう。

古語は生きている

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・錦織(にしごおり)の反対言葉

 今から40年以上前の昭和50年代終わり頃、小生は大津宮推定地といわれていた大津市錦織遺跡の遺跡調査現場で、地元農家のおばさんたちと一緒に発掘のアルバイトをしていました。

 当時、現場監督がおばさん達に「きつめの仕事」を言いつけると、おばさん達はなぜかみんな揃って「やさし・・」と答えます。

 それを聞いた監督は「また錦織の反対言葉が出た。やさしは、きついということやろ」と言い返すのですが・・。

 私は「京都のぶぶ漬け」に類する地元特有の言い回しだろうと聞き流していました。     

 ところが先頃、たまたま古語辞典をみていて、古語の「やさし」は「痩す(やせる)」の形容詞形(シク活用)で、本来の意味は「身が細るようである。つらい」であることを知ってしまいました。

 錦織のおばさんの「やさし・・」は反対言葉ではなく、自分の気持ちを素直に表す言葉だったのです。

 しかし、この解釈については問題点があり、

 同辞典によると「やさし」の意味が「つらい」であるのは、平安時代中頃までで、平安時代末になると「優美である、上品だ、しとやかだ」という意味に変わり、さらに鎌倉時代は「けなげである、殊勝だ、感心だ」「情が深い、心が優しい」になり、江戸時代に至ってようやく「容易である」という意味が加わるとのこと。

 錦織では、平安時代中頃の言葉の意味を一途に守り続けていたことになりますが、果たしてどうなのでしょうか?

・おらぶ

 今治で仕事をしていた頃、大声で叫ぶという意味で使われていましたが、実は「ば行四段活用」の動詞で、万葉集にも出てくる大変古い言葉です。

 もとは泣き叫ぶという意味でした。

 四国地方全体で使われていますが、関西や関東では廃れてしまったようです。

平成4年最後の釣行

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 12月5日(月)塩屋防波堤に進行。10時頃到着し竿を下しましたが、数日前に急に寒くなったせいでベラたちは冬眠に入ったらしく、釣れるのはクサフグばかり、2時間もすると風が強くなり、寒さが身に染みるようになりました。

 納竿しようかなと思い始めた頃、大きな魚信があり竿を立てるとずっしりとした重みが。ようやく大物が来たと喜んでいたのに姿を現したのは20㎝近いフグ。

 フグ料理免許を持っている知り合いもいないし、しかたなく逃がしたところで納竿、今年の釣り納めとしました。

 2022年、豆アジはさっぱりでしたが、ベラは大型も交えて沢山釣れました。

 さて、来年はどうなるでしょうか?

今年のベラは大きいぞ!

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 11月3日(祝)塩屋に釣行、釣果は3時間弱でクサフグも合わせて25尾、ベラは大半がキュウセンで、昨年は結構釣れていた磯ベラの姿がありません。

 また、大型が多く18㎝を筆頭に16㎝越えが4尾も!

 ハス(オイカワ)用の細いノベ竿を使うので、引きも強烈、中々水面に姿を現さず、釣趣は抜群です。

 そろそろ、釣りシーズンも終盤ですが、残り少ない釣行が楽しみです。

      大きなキュウセン

 

釣行二題

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 春のシーズンは、鉛筆サイズのサバ横行(泳)?により、豆アジ釣りは超貧果に終わり、夏場は猛暑と野暮用で全く釣行できないという最悪の状況でした。

 ようやく10月10日に塩屋防波堤に出かけたところ3時間弱でベラ17尾、チャリコ2尾という釣果、ベラの大半はキュウセンで、そのうち5尾は15㎝越えのよいサイズ。

 10月23日は朝霧に進行、ここは景色が大変良く明石海峡大橋を渡る車や、海沿いの軌道を走るJRや山陽電車を眺める楽しみもあります。

 釣果は、バリコ(アイゴの子)1尾、丸ハゲ4尾、ベラ16尾でした。ベラは小型多く、キュウセンは1尾のみ。

 バリコは毒針があるので、逃がそうかと思いましたが、個体数が増えると藻場を食荒らし、磯焼けの原因となるらしいので持ち帰ることにしました。

 

       塩屋防波堤 釣果

         朝霧 釣果

 

 

巨像の沈降

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・深夜の渋滞

 大学を卒業した頃ですからもう40年以上前の話です。

 東京からの帰り、東京駅バスターミナルから大阪行きドリーム号に乗車。 

 11:00過ぎ、出発したバスは、八重洲入口から首都高に入り、渋谷を経由し、用賀にある東京インターから、東名高速を西行するのですが、首都高に入りしばらくするとバスの速度が遅くなりやがて停まってしまいました。

 それから、少し進んでまた停まるを繰り返し、渋谷の手前でようやく順調に走行し始めました。なんとこんな深夜に渋滞していたのです。

 「異常だ。原因は首都圏の人口が多すぎるからだ」

と、何とも不安な思いがしました。

・南武線の混雑

 平成の初め頃、武蔵溝ノ口駅から昼下がりの南武線に乗ると、どの車両もいっぱいでまるでラッシュ時の様な込みようです。

 関西では昼下がりの国鉄は大抵ガラガラなので、衝撃を受け、

 「これはだめだ、首都圏は人口が多すぎる」

と、やはり不安な気持ちがこみあげてきました。

 東京で就職した友人から

 「多摩や相模の山奥から私鉄に乗って都心を目指す電車は、始発駅で満員になり都心近くの駅では積み残しが出る」

という実態を聞いたことも。

 昭和50年代に上京した折、山手線や京浜東北線の電車が10両もの長尺で走っているのを見て驚愕したものですが、現在は16両に増えています。

・弾丸富士登山

 やはり平成の初め頃、友人4人で車に乗り、神戸を出発、交代で運転し、夕方「富士山五合目登山口」の「第3パーキング」に到着、夕方から徹夜で登山し御来光を見て下山、昼前くたくたになって「パーキング」に戻りました。

 ところが車の所有者がまだ戻って来ません。おそらく土産屋で品定めをしていて遅れたのでしょう。

 仕方なく車の外で待っていると子供連れの見知らぬ男が現れ標準語で、

 「車を出されたらそこに入れさせてくれませんか?」

と尋ねます。

 「いいけど、車はどこにあるの」

と、聞くと

 「300mほど下ったところにある第10パーキングにあるので、すぐに取りに行きます」

と、答えます。遠目に見ると道路沿いに駐車場が何カ所もあり、かなり下のパーキングまで満車状態。

 「ドライバーが戻ったらすぐ出しますけど」

男は、頷いて、

「子供に番をさせます」

と言い、

 「取りに行っている間に車が出たら、場所取りをしていろ」

と命じて、車を取りに行きました。

 首都圏の住民はレジャー先でも混雑に巻き込まれていることに同情ひとしおです。

・巨像の沈降

 コロナ禍のニュースの度にスカイツリーを中心とした都心の俯瞰映像が放映されます。 

 まるでカイガラムシに占領された葉のように、白々とした緑の少ない無機質な町ですが、全国津々浦々から人間を吸い寄せ、人口を増やすことで繁栄を享受してきました。

 しかし、小生が度々感じていた「都市の限界を超えた人口」が弊害及ぼす時がコロナ禍とともに到来。

 首都圏では、検査体制が整わず、発熱外来もパンクし、救急車のやりくりがつかず、重症病床使用率も上昇、コロナの初期には、東京に行くのを敬遠したり、東京から来た人を忌避したりする状況まで生まれました。

 草原を縦横無尽に歩き回り、飽食し、巨大化した像が、コロナの底なし沼にはまり、有利であった重量が不利に転じ、どんどん沈んでいく恐怖を初めて味わっている。

 そんなように思えるのですが、いかがでしょう?

 

今年の初釣行

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 5月29日(日)晴天、フィッシングマックスのバナナフレーバーアミエビ「楽ちんサビキ」を持って、舞子にマメアジ狙いのサビキ釣に出かけました。

 現地につき、釣座を構え、件の餌をチューブから「アミかご」に絞り出すとバナナとアミエビの匂いが合成された吐気を催すほど強烈な悪臭が漂います。

 これならかなり集魚効果もあるだろうと期待したのですが、3時間余りで、金魚よりもはるかに小さなマメアジ2尾、イワシ1尾、やせ細った鯖2尾の貧果に終わりました。

 例年、海水温の低い5月の初釣行は貧果が多いので、今後に期待しましょう。 

当日の釣果

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