日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
愛媛県東温市則之内(すのうち)窯跡陶磁片調査報告
又々、釣行2題
令和6年9月8日(日) 塩屋防波堤
須磨で餌を購入、11時頃、釣り座を構え、ノベ竿の仕掛けを降ろしなのですが、1時間くらいミニフグばかり、仕方がないので短い投げ竿で10~15m位飛ばすとすぐ魚信が!
それ以降は、着水と同時に魚信があるありさまでしたが、前回同様、暑さに負け14時過ぎに納竿。釣果はベラ13尾、カワハギ1尾、チャリコ1尾、キス1尾でした。
なお、当日の防波堤、アオリイカを餌木で狙う釣り人がいて、小物ですが4ハイ釣っていたのには驚きました。塩屋にもアオリイカはいるんですね。
令和6年10月12日(土)塩屋防波堤
だいぶん涼しくなり、快適になってきました。本日も、11時頃、竿を下ろしたのですが、ノベ竿にはミニフグの攻撃が激しく、昼過ぎに新規に購入した1.8mの投げ竿で仕掛けを飛ばすと、前回同様、途切れることなく魚信が続き14時過ぎまでにベラ19尾の釣果があり、魚をおろす労苦を考慮し納竿しましたが、大物が多く塩屋で最大の20㎝越えのベラもいました。
ところで、投竿は、ノベ竿に比べ竿のしなりが小さく、釣り味は格段に落ちます。
次回は朝霧に行く予定ですが、ノベ竿に多くの魚信があることを期待しましょう。
「今治市末廣山窯跡」採集陶磁片報告
下記の報告については、「社会福祉法人 来島会」の作業所である「ドローイング工房 クラフトマン」のホームページにアップされていましたが、
来島会が「ドローイング工房 クラフトマン」を2024年9月末に閉鎖したため、閲覧が出来なくなっていました。
この度、陶磁片の所有者の許可を得て、本ホームページにアップいたしました。よろしく御願いいたします。
又、釣行二題
今年3回目の釣行は7月28日(日)塩屋防波堤。
3時間ほどで、釣果はキュウセン11尾と青ベラ4尾。
型も大きくなり魚信も増えましたが、1カ所で1尾釣ると後が続かず、同一ポイントで複数釣り上げることが出来ません。
1尾獲得しては、場所移動ということで、根元から先まで釣り歩きましたが、大きな針(キツネ1号)をしっかり食い込んで上がってきて、食い逃げはほとんどありませでした。
4回目は8月6日(火)引き続き塩屋防波堤です。
今回は、根元でキスが5尾ばたばたと釣れ、続いてキュウセン8尾がほぼ同じ場所で獲得しましたが、前回と違いキツネ1号には全く乗らず、小さな針(サヨリ3号)に変えると大小様々な魚が食いついてきました。
釣りは自然が相手なだけに一筋縄ではいきません。次々変わる自然環境の変化にどれだけ適応できるかで、釣果の多寡が決まります。
それにしても両日ともとんでもない暑さに14時で退散、地球温暖化はどこまで進むのでしょうか?
ドンク三宮本店の閉店
腰痛治療のため通っている鍼灸院の柔道整復師から「ドンク三宮本店が建て替えのため近く閉店すること」を施療中に聞いた時は、ぼんやり聞き流していたのですが・・・帰宅してからふと思い出し・・ビルが立て替えられるということは、店舗2階の喫茶室も当然なくなってしまうことに気づきました。
同喫茶室は、幼少期、祖父に連れられて商船ビル内の歯科に行き、その帰り道「治療中泣かなかった御褒美」に、アイスクリームを食べさせてもらった所で、当時の光景を回想するうちに、懐旧の情を抑えがたくなり、訪ねることに・・。
ここには祖父が亡くなってからも、何回か親に連れて行ってもらったようで、その時は多分十代だったので、この度は50数年振りの入店になります。
さて、店舗に着き、横の階段を上がり、喫茶室のドアを開けると、全てテーブル席だった室内にカウンター席が出来るなどレイアウトは少し変わっていましたが、席に着くと、早速、想い出のアイスクリームを注文。
往時は金属製の小さな高坏状の容器にアイスのマウンドが一つ、頂上にはサクランボ、横にウエファースが添えられるというクラシックなスタイルでしたが、やってきたのはマウンドが二つ、クッキー、棒状のチョコレート、ミントの葉が添えられるおしゃれなスイーツ、硬めで味は濃厚です。
地震があったせいもあり、市内の思い出の場所の多くがなくなり、ドンク三宮本店の喫茶室も夢で見るだけの場所になりました。
釣行二題
連休が明け、釣りシーズンがやって来ました。
初回釣行は6月3日(月)、朝霧市民釣場へ出かけましたが、まだ水温が低いせいか、ノベ竿にはまったく魚信なし、投げ竿にフグ1尾とミニサイズのハゼ2尾という貧果。
しかし、近くで竿を出していた少年がベラ2尾釣っていたことから、冬眠からは覚めているようです。シーズン初日はボウズに近いこともよくあるので、まあ良しということで・・。
2回目は6月12日(水)、最寄りのJR駅に行くと全面運休していて、仕方なく山陽で須磨へ・・餌を購入してJR須磨駅前を通ると上りホームの普通電車が動き出したので、復旧したらしいと判断、下りホームから西明石行きに乗り無事塩屋に到着。
防波堤について竿を下ろしましたが、まだ水温が低いらしく、ノベ竿には当たりなし、投げ竿にキュウセン2尾、青ベラ1尾、アブラメ新子2尾という初回よりはましですが、やはり貧果。
7月になれば水温も上がり食いもよくなることを信じ、4時頃納竿、遅れがちなJRで帰宅しました。
神戸は沼か?
五十年以上前、中学生の小生は実家近くの絵画教室で日本画を習っていました。
生徒の大半は小中学生でしたが、数少ない大人の生徒で教室に来ると先生や生徒に間断なくしゃべりかける「うっとおしい」おじさんがいて、二言目には、
「神戸は景色もよいし、食べ物もおいしい住みやすいところで、ずっと神戸にいたい。大阪や京都に行きたいとは思いまへん」
と言います。
「世間の狭い、しょうもないおっさんや、自分は大阪や東京どころか日本全国を旅して、神戸以上の街を見つけてやる」
と、ばかにしていました。
その後、27歳で故郷を離れ、滋賀に25年、今治に7年住み、愛知や広島、鹿児島などで長期の現場に入ることもあり、59歳にしてようやく帰郷しても、すぐに郷土愛が芽生えるということはなかったのですが、2年、3年と過ごすうちに徐々に「神戸沼」に沈み、最近では前述のおじさんのように、ずっと「沼」に沈んでいたい気持ちが、強くなってきましたので、その理由を述べてみましょう。
- 景色が良い
コンクリートシティ大阪から電車に乗るか、あるいは車で阪神高速を西行し西宮に入ると六甲山脈が南に貼りだしてきます、山腹に街が貼り付いているよう東灘区を抜け、灘区に至ると山裾が後退し、市街地が程よい広さに・・・長田区までその間隔が続き、須磨区になると山脈が海まで落ち込み、まるで南仏やイタリアのリゾートの光景になり・・・ここまで続く山の緑と青い海は、目に優しく、疲れを癒してくれます。
- 気候が良い
京都は盆地のため、大気の動きは悪く、夏は酷暑、冬は酷寒の住環境最悪の街ですし、コンクリ大阪も夏はヒートアイランド現象で一晩中エアコンが必要です。
北に六甲山地、大阪湾がある神戸の中心市街は、昼間は海風、夜は陸風が吹くので、空
気が淀むことがなく、常に新鮮で、他都市より涼しく感じます。
- 適当にさびれている
上記のように住環境は、よいのですが、近年は子育て政策が充実している明石市に人口が流出したりして、北区や西区の団地の居住者が減り、六甲山脈の南側でも過疎化による増えた廃墟を廃墟系YouTuberが紹介しています。
久本市長は三宮付近の再開発をテコ入れにして再浮上を図っていますが、インバウンドでごった返す大阪や京都からやや少なめの人影の行きかう落ち着いた町並みに戻って来るとのどかさに肩の力も抜け・・ここがいい、ずっと住んでいたいと・・・(嗚呼)・・青雲の志はすっかり忘却し、沼に沈んでいくのか?果たしてこれは残念なのか?
幻の町後言
「小説」お読みいただいたでしょうか、病院長監禁事件に巻き込まれた主人公は自分のピンチの理由もわからないままに前川・渡辺医師の協力により脱出しましたが、主犯と相棒はまだ捕まっていないし、事件の全貌も分かっていません。
主人公が入るはずだった「ゾーン」の実体は?顧問弁護士が告げた「生きている母」は主人公の前に現れるのか?医師達や港市警察の刑事、コンビニ店長、臨床心理士や鍼灸師は今後の展開にどうかかわっていくのでしょうか?
ところで、第1部の主な舞台は「港市山奥の街」と「滋賀の病院の中」でしたが、第2部では、主人公の先祖の地である、山脈奥の集落、母が入院していたかもしれないサナトリウムやその前身の結核療養所についても語られます。
謎は徐々に明らかになり、物語も完結しますので、乞うご期待ください。
小説「幻の町 第1部 過去の街」
2020年9月26日、レンタカーを借りて、岩岡町の歌枕「野中の清水」を訪ねた帰り道に丸山大橋を渡った折「谷底から山頂近くまで斜面に藤壺のように家がびっしりとへばりつく異様な街」が目に飛び込んできたため、びっくりして脱輪しそうになりました。
このあまりに強烈な光景が忘れられず、その年の11月「新開地駅」から神鉄に乗り「丸山駅」で降り、地面を這うように街を探訪しながら廃校になった雲雀ヶ丘小学校まで登っていき、そこからは市バス路線を下って、丸山観音(妙昌寺)下の「丸山バス停」からバスに乗車し、JR神戸駅に帰着したのが、最初の踏査で・・。
2回目はJR神戸駅から「大日ヶ丘住宅前行」の市バスに乗車、終点で降り、ぐるっと回って、降りて来て、丸山観音を参拝し、市バス路線に沿って脇道チェックをしながら長田神社まで歩いて下りました。
3回目は「鵯越駅」で神鉄を降り、鵯越墓地を目指して分かれ道を確認しながら坂道を登り頂上に着くと「導水管トンネル」を発見!こわごわ潜って向こう側に出て、坂道を谷底まで降りて、市バス路線を「堀切バス停」まで進み、そこから台地に上り、南端まで行って、崖下を覗くと・・。
急斜面をソーラーパネルが覆いつくす異様な光景を見てしまい、興奮のあまり動悸がしたので、天を仰ぎ深呼吸をして落ち着くまで待って、もう一度見下ろし目に焼き付けてから、バス路線に戻って「宮川町9丁目バス停」まで下り、市バスに乗車して「夢野2丁目」にでました。
4回目は「JR新長田駅」から「ひよどり台行」の市バスに乗り「花山町バス停」で降り、丸山地区西側斜面の階段や隘路を丹念に歩き回ってから、坂を下り「宮川町9丁目バス停」から市バスに乗り「JR神戸駅」で降車。
以上、ほぼ1カ月に1回「丸山」を訪ねましたが、何度行っても見飽きない魅力がそこにあります。
その後、YouTuberの「秋蛇星」さん「とんちゃん」さん「はらぺこ地理部門」さん達が公開している「丸山」の映像を見て、昭和初期の遊園地開設が同地区開発の端緒となり、高級別荘地が分譲され資産家が集う街となったもの太平洋戦争のため廃れてゆき、戦後、不動産会社による不合理な土地整理とそれに対する住民の反対運動がおき、昭和30年代の高度経済成長期には斜面や崖下など居住不適地まで無理に造成がなされた結果、昭和50年代の終わりには開発の限界により人口が減少し、現在は住民の高齢化が進んで、廃墟が増加し、街は衰退していること、神戸電鉄の軌道建設で働いた朝鮮人が住み着いた複数の集落が街の東側の山腹あったが、既に廃され、そこに至るトンネルもコンクリートで蓋がされてしまったことに加えて「導水管トンネル」の紹介もされていることも知りました。
「丸山」は、広域的、重層的な近・現代史が刻まれた史跡のような街です。
そんな丸山体験をしてしばらくした頃、小説制作願望が沸き上がって来て「丸山が舞台の小説」を書き始めましたが、当初の構想では、
「丸山」がモデルである不思議なエリアに迷い込む夢を見た主人公が、滋賀の病院の入退院を経て、再び同エリアを訪れ(その2)と再会し、夢の秘密を教示してもらい、終わる」
という単純なものだったのですが、書き進める内に構想が膨らんできて、だらだらと書き続け、いつ終わるかが分からなくなってきました。
小説執筆のせいでブログの投稿もめっきり減ってしまったこともあり、物語はまだ中途ですが、とりあえず一旦休止し、出来た分を「第1部」としてアップし、結論に至る「第2部」は数か月後には「劇終」表示をしてアップできるようにしたいと思いまので、どうぞ御承知おきください。
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失礼いたします。
釣りシーズンも終わりです
11月22日(水)
本日は、朝霧に釣行するも、釣果はツバクロ、ミニハゲ、ミニベラ4尾のみ。
大量のミニフグ攻撃に閉口して早々に退散。水温低下でベラの活動も低調になりました。
12月9日(土)
本年の釣り納めに塩屋へ、釣果はクサフグのみで、ベラはすっかり冬眠した模様。
のべ竿にかかるのはミニフグばかりなので、投げ釣りをしてみると大きなフグが釣れました。
昼過ぎには肌寒くなり納竿。今シーズンも終わりです。