日銀の支店長

 安土にある博物館に勤めていた頃ですから、平成四年から七年の間の事です。

 夏の午後、総務課長が呼ぶので事務室に行くと、「来館者が三人いるので三十分位で案内をしてくれないか」という命令です。来館者の名刺を見ると、県下で一位、二位の地銀の頭取と日銀の京都支店長で、どこかに視察に行った帰り道に立ち寄ったということでした。

 玄関ロビーにいた三人に挨拶し、展示室に入ると、支店長は「私は無類の歴史好きで、この館に来ることができて大変嬉しいです」と言い、どの展示に対しても興味津々で次々に質問します。ところが後から腰をかがめてついてくる頭取二人は時々愛想笑いするのですが、時計を見たり、こっそりその場を離れて携帯をかけたりして、心ここにあらずの様子です。

 予定の三十分を過ぎると、二人の顔に焦りの色がありありと表れてきました。クーラーが入っているのに汗をぬぐい、ひたすら揉み手をして、もの言いたげなのですが、支店長に対して「次の予定に間に合わないので、そろそろ出ましょう」とは言いません。地銀から日銀に「声をかけてお願いすること」は大きな身分差が障害となり実施不可能なのでしょうか?

 支店長は二人の気持ちを知ることもなく益々見学に夢中になり、予定時間はどんどん過ぎていきます。二人は頻繁に汗を拭き、数秒おきに時計を見て、意味もなく笑ったりしていましたが、とうとう絶望的な表情になり、小声で慰め合いを始めました。

 すると、まさにその時、四時三十分の「閉館案内放送」が流れてきました。支店長は「あー、もう時間ですか。残念、残念、今度は一人でゆっくり見に来ます。案内ありがとう」と落胆しながらもお礼の挨拶をしました。それを聞いた途端、二人の顔に生気が戻り、一人は玄関を飛び出して、駐車場の黒塗り高級車を呼び寄せ、もう一人は携帯でせわしなく指示を出すと、支店長を促して車に乗り込み、車は田んぼの中の道を猛スビードで走り去っていきました。

 それを見送りながら、なぜか「すまじきものは宮仕え」という言葉が頭に浮かびました。