日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
「抗菌」「抗カビ」かないまへん
「昭和の時代」は影も形もなかったのに、今ではテレビコマーシャルでもネットショッピングでも、「抗菌、抗カビ、抗ダニ効果のある家電・洗剤」の花盛りです。
もともと人類は旧石器時代から現代まで、常に菌やカビ、ダニに囲まれて生活しており、体内にも沢山の菌が生存しています。身の回りにいる菌やカビの中で人間の健康を害するものは僅かなのに、「完全駆除」しないと気が済まない人が増えています。
10年くらい前に見た「アレルギー疾患をテーマにしたテレビ番組」では「戦後は上水道の普及、トイレの水洗化や洗浄力の高い洗剤の発明により、家庭内や職場の環境が清潔になりすぎ、それがアレルギー体質の増加の一因にもなっているので、極端に清潔な環境は体によくない」などという論調がありましたが、最近とんと聞かなくなりました。
それどころか、小学生の中には「学校のトイレはウォシュレットじゃないので入らない」と言って便意を我慢する子がいるそうです。物心ついた頃から「抗菌、抗カビ対策」を実施し「ウォシュレット」を使ってきた人は、それらがない国では暮らすのは絶対無理でしょう。
菌やカビ、ダニをあまり気にせず生活してきた小生としては「長い長い付き合いの御三方をいじめまくると、きっと強力な仕返しをするに違いない」と常々恐れているのですが。
河内国際空港の謎
台湾や中国の空港に行くと各便の行先が表示板に、曼谷(バンコック)新加坡(シンガポール)馬尼拉(マニラ)などと漢字で表示されていますが、先年、職場の慰安旅行で台湾に行った折、桃園国際空港で同僚とそれに関連する会話をしました。(写真参照)
同僚:
あの行先表示に書いてある「河内」てどこですのん?
小生:
君は知らんかったんか、八尾空港が国際空港になったん。
同僚:
えー、ホンマでっか?あのセスナとヘリしか飛ばん狭い空港が!!
小生:
A380やジャンボジェットみたいな大型機の離着陸は無理やけど、最近の飛行機は滑走距離も短かいし、中型機やったら余裕や。関空もLCCや中国便が増えて、1日の離着陸回数が限界に近いづいてきたんで、何年か前から八尾空港国際ターミナルの整備工事が進んでいたんやけど、今年完成したんや。関空よりも大阪市内に近いから便利やで。
同僚:
今日はほんまにええこと聞きましたわ。帰ったら女房に教えたりますわ。
さて本当に「河内国際空港」は存在するのでしょうか?
まあ、「河内」の下に書かれたローマ字の小さな読み仮名を読み解いていただければわかることなんですが。
クローバーマーク
自動車免許更新のため、警察署に行き講習を受けた際、「身体身障者と高齢者が運転者であることを示すクローバーマークを貼った車がいたら、車間距離を十分にとるように」という話がありました。
どちも「四葉のクローバー」がモチーフとなっていて、「身障者」用はクローバーの原型に近く、色は青・白2色、「高齢者」用は形がやや歪んでいて、色は4色になっています。
私は仕事上、「身障者のクローバーマーク車」を見る機会が多いのですが、知り合いの「身障者ドライバー」の話では、最近は身障者用自動車の改良が進み、スムーズな運転が可能になったために、ドライバー各自の運転技術が向上し、ラリーに挑戦する人も出てきたそうです。
もう一つの「高齢者のクローバーマーク車」も高齢化の進む今治ではよく見かけます。大半が制限速度以下で走っていて、関西に住んでいた頃なら、後ろに着くとイライラしたでしょうが、今では当地ののんびりした運転に慣れてしまい、気になりません。
しかし、たびたび見せる不規則な動きにはついていけないことがあります。私が実見した例としては「交差点を曲がりながら角で停まる」「指示器を出さずに曲がる」「指示器を出さず車線変更をする」「指示器を出しっぱなしで直進し続ける」「急にバックする」などがあり、同マーク車が起こした事故もたびたび見かけます。 「自動車依存社会」で「高齢化」の進む今治においては、高齢ドライバーと事故の増加が同時に起こっているのです。
「高齢者は路線バスにのればいい」という人もいますが、当地のバス路線は町の中央部である港や駅を起点とし、そこから郊外に向かうルートばかりで、日常的よく行く「ホームセンター」や「大型ショッピングセンター」「病院」などを回る路線は、ほとんどありません。
ところで、松山市では、運転技術が低下し、免許を返上した高齢者には、それと引き換えに、タクシーチケットやバス券を1回限り5,000円分を渡しています。しかし、自家用車の代償にしては、随分安い額です。
免許返上高齢者には「市内や隣接市なら距離無制限で使えるタクシーチケットを一月に10枚位配布する」ような気前のいい自治体は現れないでしょうか?事故は減るし、消費も増える、健康管理も行き届くので、結果的には役所の負担は減ると思うのですが。
たくさん釣るのも
漫画「釣りキチ三平」の中で、「魚紳さん」か「毛針山人」から「釣りの魅力」について聞かれた三平が「釣りの魅力はたくさん釣ることだ」と答える場面があったと思います。
これは、まことにもっともな答えでありまして、私も釣りを始めて以来、ずっと「たくさん釣ること」に情熱を傾けてきました。
しかし、今治港は神戸港に比べて桁違いに魚影が濃く、ある日、早朝から竿を出して、昼下がりに釣果を数えると、80尾を越えていたことがあります。
釣れた魚は全て下ろして料理することをモットーにしている私は、調理時間を考え、泣く泣く納竿して帰宅。魚を下ろしにかかりました。
さて、南蛮漬けに向くのは骨が柔らかい小魚ですが、これらの鱗を落とし、ワタを抜くためには上からしっかり俎に押さえつけなければなりません。この日は特に小魚が多かったので、下ろし始めて30尾を過ぎる頃から握力が低下して、押さえがききません。
俎の上で滑りまくる小魚相手に悪戦苦闘し、下ろし終わったのは、夕方6時。夕食・釣具の片付け・入浴を挟んで、9時から調理を再開しましたが、魚の量が多いので5回に分けて油で揚げ、大量の玉葱を切り、これらを三倍酢とともにタッパーに仕込み、冷蔵庫に入れ、調理具を片付け終わって、時計を見ると午前2時を過ぎていました。
これに懲りてその後は、釣果が25尾を越えると納竿することにしました。このぐらいだと魚を下ろして料理しても2時間以内で済み、疲れることもありません。
そして、魚との邂逅が減った分「魚信取り」から「取込み」に至る「一連の釣り上げ動作を洗練させ、一期一会を楽しむ」という新たな目標に設定し、努力を重ねています。
「天声人語」を読んで思うこと
フィットネスクラブのマシンで走り込みをして、サウナで汗を流すと、火照った体を冷やしながらロビーにある「朝日新聞」を読むのが、最近の習慣になっています。
28歳までいた実家では「朝日新聞」をとっていたので、「記事」も「天声人語」も読んでいました。しかし、滋賀県内に就職が決まり家を離れたので、読む機会がほとんどありませんでした。。
久しぶりに「天声人語」をじっくり読んでみると、その構成にはいくつかのパターンがあり、その中で特に多いのは以下であることが分かったので、紹介しますと、
①まず、文頭で執筆者が「世界文学」や「故事来歴」「専門知識」「加齢経験」(若者達が生まれる前の話やイベント)」などの知識を披露します。
②次に、文頭言と関連のある「最新の新聞記事」へ話を「展開」します。しかし、この「展開」はかなり強引で「牽強付会」に思えることが多いのです。
③最後に上記を踏まえたうえで国民に「教訓」を垂れます。
と、なります。
読後の印象としては「文章の流麗さ」や「まとまり」がなく作りは粗く感じますし、「①自慢」の段階で次の「②最新の新聞記事」への展開が分ってしまい、「興醒めすること」も少なからずあります。
元記者である執筆者は「5W1H」を踏まえ正確で分かりやすい文章を書くトレーニングばかり積んできたので、「感動的な文言」や「美しくバランスがとれた文章構成」は苦手なのでしょう。
また、新聞記者は「民主的で」「品行方正」であらねばならぬという「強迫観念」から己を常に「聖人君子」の立場に置くため、読者に対する意見はどうしても「説教調」になってしまいます。
「天声人語」をもっと「麗しい作品」にする唯一の方法をお教えしましょう。それは「プロのコラムニスト」に執筆を頼むことです。
NHK、真の国営放送へ
冬の土曜日の朝、玄関のチャイムが鳴りました。「こういう時間帯にやって来るのはエホバかな?宅配便かな?」と思いながらインターホンに出ると男の声で「NHKの料金収集に関係している(なんとかセンター)の者ですが、あなたのアパートのテレビジャックにケーブルを繋ぐとBSも見ることができるので、受信料を支払う必要があります。その説明に来ました。よろしければドアを開けてもらえますか?」などと言うのが聞こえました。
私のいる4号室は、会社がアパートの何部屋を社宅用に押えて、社員に割り振っているものの一つですが、最近引っ越してきたばかりなので、部屋に「BS視聴可能な回線があること」も、「室内のジャックにテレビケーブルを繋いだだけでBSが見られること」も全く知りません。
それを藪から棒に「BS料金を支払う必要があります」と言われても戸惑うばかりです。とりあえず(なんとかセンター)の人にお帰りを願い、アパートの管理会社に問い合わせるとやはり「支払う必要はない」ということでした。
ところが2月21日の日経新聞を見ると「総務省はNHK受診料をテレビの有無にかかわらず全世帯から徴収できるような制度の見直しに着手することにした」そして「ドイツ、フィンランドは既に全世帯徴収で、スイスも来年から移行する」と報じられています。
しかし、テレビの有無にかかわらず全世帯から受信料を徴収するとなると、税金と同じなので、NHKは実質的な国営放送に移行することになります。
受信料が税金化されるのなら「テレビを捨てもいいな」と始めは思いましたが、「どうせ国営放送になるんだったら納税者の権利としてNHKにどんどん要望を出そう」と思い直しました。
私の要望の一端を紹介しますと
①マンネリ化した「大河ドラマ」「朝の連続テレビドラマ」を含む全ての「娯楽番組」は中止する。
②「ニュース」も中止する。
③ 国会(委員会を含む)は中継と録画により全て放映する。
④「国営機関」「交付金を貰っている機関」全 てを対象にした第三者作成の「監査報告番組」を放映する。
などがあるのですが、いかがでしょう。
NHKは「国民の福祉のために放送サービスを行い」「政府からは完全に独立し」「言論の自由を守り」「人権を重視する組織」であることを標榜しているようですが、「小保方さん」への強引な取材や「籾井さん」の言動、社員による「不祥事」などをみると、受信料の税金化よりも先んじて是正すべきことが沢山あると思うのですが。
身近なファシズムの話
以前、アップした「京都の嫁入り」と同じく、祖母から何度も聞かされた話です。
太平洋戦争が始まった頃、父は旧制中学の生徒で「速記クラブ」に所属していました。
「速記」と言っても知らない方が多いと思いますが、「テープレコーダー」や「音声リコーダー」などの録音機器が発明される前の発言記録法で、「五十音それぞれを1本の線で表す速記符合を基本とし、熟語や文章の省略符合も使って、発言を紙に記録する」という技術です。
日本では、明治時代の帝国議会開設に合わせて、イギリスの速記術を改良した「日本語速記術(日本傍聴記録法)」が考案されたので、第一回の帝国議会から現在の国会に至るまで、すべての会議の議事録が残っています。
さて、旧制中学の「速記クラブ」では、「顧問の先生や先輩が文章を読み上げ、部員が速記する」というやり方で練習していたのですが、父は「自然に話す人の発言を速記すればもっとよく技術が身につく」と常々思っていたところ、良い機会が巡ってきました。著名な思想家大川周明氏が、実家の近所の小学校で「時局講演会」を行うというのです。
当日、父は政治好きの祖母と親子二人で「講演会」に出かけました。会場の講堂に入ると一番後ろに立って、講演を手帳にせっせと速記しました。大川周明氏の話術は実に巧みで聴衆も大いに盛り上がり、拍手喝采の中、講演会は無事終了。
ところが、祖母と父が家に帰ると間もなく、後をつけてきたらしい憲兵2名が玄関にずかずかと入って来ました。憲兵は、厳しい口調で「学生が大川氏の講演をひたすら手帳に記録していたのが怪しい、間諜の疑いがある。詰所まで来い」と言って父を連行しようとします。
吃驚した祖母が「この子は中学で速記を勉強していて、大川先生の講演を聞いて速記の練習をしていただけです」と言うと、憲兵の一人がたまたま速記を習ったことがあったらしく「速記なら知っている。手帳を見せろ」と言い父の手帳を取上げてじっと見ていましたが、しばらくすると穏やかな表情になり手帳を父に返し「これは確かに速記だ、速記は役に立つ技術だ、よく勉強しなさい」といって、もう一人の憲兵を促して帰って行ったそうです。
以上が私の一世代前の家族が実際に体験したファシズムです。
皆さん、恐ろしいと思いませんか?当時は罪がない人間が、当局の思い込みによって、簡単に連行されてしまう、人権などは簡単に踏みにじられる時代でした。日本のファシズムは敗戦により消滅しましたが、戦争終結から70年たった現在でも、中国や北朝鮮では、ファシズムの嵐が吹き荒れているのは残念なことです。
一般市民向け現地説明会(その3 記者会見)
「担当者」は最初に自己紹介をします。記者は学歴やゼミの教官を聞くのが何より好きなようで詳しく聞かれます。中には高校時代のことまで聞く記者もいますが、それらが記事になることは、ほとんどないのです。
それから、遺跡の質問になりますが、「資料提供」のプリントには「今回の遺跡は県内に同様の遺跡が数か所あり特殊なものではなく」「遺構や遺物に日本最古、日本最大、日本唯一というものはない」ことを明示しているので、記者たちの舌鋒は鋭くありません。
しかし、遠くまでやって来て、質問ひとつせずに帰るのも時間と経費の無駄だと思うのか、論点を変えて「この遺跡は保存する価値があるのか?」「日本史を変える可能性のある遺跡なのか?」などはっきり答えにくい質問ばかりします。
民放と新聞社の記者は、「もう一歩踏み込んでもらえまへんか?」「大丈夫、大丈夫、思い切った発言でもオブラートに包んでさらっと出しますんで」などと「ぼけ」と「つっこみ」を交えた関西トークで迫って来ます。しかし、「NHK様」は、質問自体が標準語で「きつく聞こえる」上に、答えようによっては「あなたの答え方は不誠実だ」と本気で怒りだす人がいるので要注意です。
なんとか、記者会見も終わり、記者達も三々五々帰宅に着くと、会場を後片付けして現地説明会は終了します。本来なら、同僚やバイトの諸君と打ち上げでもやって、泥酔したいところですが、残念ながら上司からは当日夜は自宅待機が厳命されています。仕方なく、帰宅して自宅でぽつねんとしていると、県教育委員会から「○○新聞の記者から聞きたいことがあると電話があった。今から言う電話番号に電話してくれ」という電話がかかってきました。
新聞社に連絡すると「遅いのにすんません。ちょっと聞きそびれたことがあって、お聞きしたいんですが」と謝りながら何点か質問するので、昼と同じように当たり障りのない答えをすると「すんませんでした。おやすみなさい」意外とすんなり電話を切ります。その頃は、なんで「現説」の夜に新聞社から電話がかかって来るのか分かりませんでしたが、大分後になって、その理由が新聞社側にあることが分かりました。
夜、記事の集まりが悪く、翌日の紙面に穴が開きそうになると、支局長は当日取材に出た記者に命じて、記事を膨らませて、穴埋めさせようとします。しかし、記者が自分の筆力では記事の膨張が無理だと思った時、再取材の電話をかけてくるのです。県教育委員会でマスコミとの付き合いが長く「うちとブンヤさんは持ちつ持たれつや」とよく言っていた上司は、そのことを知っていてマスコミサービスのために「自宅待機」を命じたのでした。
一般市民向け現地説明会(その2 当日説明)
当日は、まず、受付横の机に出土品を並べ、開始2・3時間前からやって来る考古学ファン達の受付をして、パンフレットを配り、出土品の説明をしたりしているうちに、開始時間が近付いてきて、マスコミの皆さんも姿を現しはじめます。
新聞記者は各社大抵1人しか来ませんが、他社同士でも仲が良いらしく、1・2台の車に相乗りしてやって来ます。現場に着くと家庭用ビデオに声を吹き込みながら撮影を始めました。
民放も記者がカメラマンも兼務していることが多く、やはり1人でやって来ます。ビデオカメラを回しながら来場者にインタビューしている器用な人もいます。ある在阪テレビ局は、地元の老舗写真館の息子さんに取材・撮影を頼んでおり、彼もいっぱしの記者気分でカメラを回したり、出土品を見てメモをとったりしています。
その内、黒塗りタクシー(中型)が静々とやってきました。「NHK様」の登場です。タクシーで来るのは「NHK様」だけで、他社とは違い必ず記者とカメラマンの2名が来ます。プロデュ-サーが加わり3名で来る時もあります。
昨年、松山で「福祉の集まり」があった時、新聞・民放の取材陣は、各社1人づつでしたが、「NHK様」は3人来ていました。受信料の蓄えがふんだんにあるので取材には湯水のように金を使うのでしょう。
「遺跡の説明」は、その遺跡の「埋蔵文化財担当者」(※以下「担当者」と略)が行います。「担当者」とは発掘現場に赴き発掘の指揮・監督をする人のことですが、実は「担当者」それぞれが得意とする時代は違っています。
私は現役時代「中・近世遺跡」の調査にあたることが多く、それらの発掘は得意で、知識もありましたが、「古墳」の発掘調査経験は調査員生活30年でわずか1回、それも1箇月間だけ。「縄文遺跡」も1回、「旧石器遺跡」の発掘調査経験はゼロでした。
ところが「現説」にやって来る考古学ファン達は、あちこちの「現説」や講演会にこまめに出かけ、ファン同士で「現説パンフ」の交換をしている人も多く、「担当者」よりも沢山の情報を持っている人が少なくありません。「担当者」よりも遺跡に詳しい人もいて、「担当者」が考古学ファンに助言を求めたり、御教示を受けることもよくあります。
話題の遺跡で来場者も多い場合は、何回も「説明」が行われます。しかし、普通は2回くらいです。2回目の説明が終わり、考古学ファン達が帰り始める頃、いよいよ各社の取材が始まります。(その3)に続く
一般市民向け現地説明会(その1 準備)
私の学生時代や「滋賀県の外郭団体」に在籍していた頃、「現地説明会」※通称「現説」 の意味は「発掘された遺跡を一般市民に広く公開すること」でした。
しかし、「文化財調査会社」に転職すると「自治体などが入札前に業務施工場所を指名業者に公開し、業務内容や仕様書の説明をしたり、質問に答えたりすること」を「現地説明会」※通称も同じ「現説」 と呼び、この言葉には二つの意味があることが分かりました。今回、お話するのは前者の事です。
遺跡の発掘調査が終わりに近づくと、「現地説明会」の日程を決め、当日配布する「パンフレット」を作り、まず団体の決裁をとり、次に県教育委員会にも決裁を回し、「遺跡について分かりやすく説明されているか」「文言に問題がないか」などについて十二分に検討してもらいます。
OKになって返ってくるとマスコミ各社の分だけプリントし、「遺跡の目玉写真」も付け加え「県庁の記者クラブ」に持って行いきます。これを「資料提供」と言います。同じ遺跡記事の写真が各誌どれも同じなのは上記の理由からです。
新聞1面に乗るような著名な遺跡なら「資料提供」と同時に取材陣が現場に押しかけてきますが、地味な遺跡の場合、取材に来ることはほとんどありません。
「現説当日」の準備は、面積の広い遺跡なら1週間くらい前から、小さな遺跡では前々日ぐらいから取りかかります。テントを張り、中に机・椅子を置き受付とし、遺跡を安全に見学できるように通路を作り、井戸などの深い遺構に人が落ちないようにロープを張ります。前日午後に遺構面を入念に掃除すると準備は完了です。(その2)に続く