私と京都(2) 京都人の苦楽はあれど続いてゆく生活

 京都市内に住む友人は文具屋の3代目店主でした。4代以前は別の商いだったそうですが、室町時代以来の町衆だと言っていました。京都人は中々本音を喋らないのですが、ある宴会で泥酔し「京都の生活」について述懐されました。話の中で急に「神戸の話題」が出てきたのが意外で印象に残っています。彼は残念ながら数年後に亡くなられました。全ての京都人の生活が述懐と同じかどうかは分かりませんが、この町で代々暮らしてゆくことは、中々苦労が多いようです。

【述懐】

 市内から滋賀県に引越した時「都落ちした」「県民になった」と自嘲気味に語ったり、京都市周辺の農村を「郡部(ぐんぶ)」と呼んで見下す京都人がいます。外に対しては「京都は都で、他は全て田舎」という「気位」を持っている京都人は沢山いるのです。

 反対に内に対して、つまり「地元町内」に対しては「気位」より「気遣い」が大事です。自分の地位や立場に応じた行動を取ることに細心の注意を払い、年中行事や御祭、町内会の付き合い、買い物、学校、仕事など全てで世間の目を気にしながら、目立たず、隠れず、義理を忘れず渡世りしなければなりません。

 しかし、これらのことは親から子へ伝えられ、体にしみ込んでいるので、普段は無意識にこなしながら世間を渡っています。しかし手元不如意で年中行事や御祭りの寄付の工面が難しくなった時や町内の付き合いでトラブルが生じた時、仕事に疲れた時など、無性に神戸に引越したいと思うことがあります。

 神戸は、港町なので誰でもウエルカム、格付けもしきたりもなく、法律さえ守れば自由に暮らせる街です。窓から海が見るし、盆地ではないので風通しがよさそうだし・・・。

 しかし、体力や金力が回復し、付き合いのトラブルも解消されると、また元の日常生活の渦に巻き込まれ、何代も受け継いできた、京都の生活に戻って行くのです。心地いいような、悪いような、河の流れのように、とどまることなく過ぎてゆく生活に・・・。