阪神・淡路大震災(1)「忘れたい」「語り継ぎたくない」

*私は昭和60年から平成13年まで滋賀県に住んでいましたが、阪神・淡路大震災(1.17)当日はたまたま神戸市の実家に帰っており、そこで被災しました。そんなことから1.17については、アップしたいことがたくさんありますので、ぼつぼつと紹介してゆきます。

 

 3.11から3年たち地震関連の番組も全体的に減ってきました。しかし、3.11が近づくと東京の各テレビ局が一斉に特番を組みます。そこで呪文のように繰り返されるのが「あの日を忘れない」「語り継ごう」という言葉です。私はこの言葉の乱発に疑問を感じることがあります。

 ある知人は、1.17の心労で鬱病になりました。長い間治療を受け良くなりかけていました。しかし、3.11当日津波で倒壊する街の映像を見て精神的ダメージを受け症状が悪化してしまいました。

 また、別の人は1.17で莫大な資金をかけて集めた陶磁器のコレクション全てを一瞬にして失い、失意のどん底に陥りました。震災後から10年以上たってようやくコレクション活動を再開しましたが、3.11の映像に接すると壊滅したコレクションの記憶がフラッシュバックしてきて、またやる気をなくしてしまいました。

 1.17を体験した人の中には地震の記憶を「忘れたい」人や「語り継ぎたくない」人もいるのです。3.11の被災者で3.11を忘れたい人もいるでしょう。地元局の1.17震災特番は、「あの日を忘れない」「語り継ごう」一辺倒から「地震被害を防ぐ取組み」をテーマにしたものに変わり、「取組み」の一つとして「地震記憶の保存」をあげるように変わってきています。