東京オリンピックの思ひで

 国立競技場の建替えやロゴの問題もようやく落ち着いた今日この頃、前回の東京オリンピックが開催された時(昭和39年)のことをお話ししたいと思います。

 その年、私は小学校1年生、実家には白黒テレビがあり開会式中継を見に家族全員がテレビの前に集合。荘重なファンファーレの後、軽快なオリンピックマーチの演奏下、ギリシャを先頭に各国選手団が行進し、最後に日本選手団が入場してくると父がおもわず歓声を上げました。

 当時は、家にテレビがなく、オリンピック放送が見られない子供達もいたことから、母校ではテレビ放映時間に合わせて1クラスずつ校長室に入り、試合を観戦する行事を計画し、私のクラスは、「柔道無差別級決勝戦 神永対ヘーシンク戦」を観戦することになりました。

 当日、生徒も担任も、「日本の御家芸が外国人に負けるはずがない」と期待に胸躍らせて校長室に入り、観音開きの戸があるテレビの前に陣取りました。しかし、試合が始まると神永選手は終始劣勢で、とうとう寝技に抑え込まれてしまい、制限時間がどんどんなくなってゆきます。

 そしてついに判定が下った瞬間、生徒も担任も貝のように押し黙りました。・・・校長室に沈鬱な時間が流れる間・・・テレビでは、神永選手が静かに立ち上がり、一礼し、会場を去り、対照的に日本のコーチや控え選手達の誰はばかることなく号泣する姿が放映されています。

 すっかり気落ちした1年生達は、我に返った担任に促され、無言で教室に戻ってゆきました。