滋賀県の思い出(3) 県職員は偉い

 20年くらい前の話です。

 滋賀県内の農家に遺跡所在確認などの聴き取りに行くと「隣村にいた県職のAさんの山に塚があって、どうの、こうの・・」などと返答されることがありました。

 同じ返答でも県職員以外の人が話に登場する時は、職業については触れられないこともあります。しかし、県職員は最初から「県職の某」という肩書付で呼ばれていました。県民の「県職員は偉い」という認識は強かったのです。

 県職員は一度採用されるとリストラも県外への転勤もなく、ボーナスも毎年あり、年休も取りやすいことから、農家の長男が多く、他府県出身の職員で養子に入った人も結構いました。未婚女性の県庁でのアルバイトは花婿探しと言われて、応募が多く狭き門でした。滋賀県には大企業の工場は沢山あるのですが、本社はほとんどなく、国立機関も少ないことも、県職員の地位を引き上げていました。

 そんな偉い県職員中でも特に偉いのは県立高校の教員です。教員は、一般の県職員とは身分や給与制度が違うので「自分達は別格だ」という意識が特に強く、そんな教員にプライドを傷つけられることが多い「県立高校事務室」に異動を希望する人は、まずいません。

 知合いの県立高校の事務員も「教員は電話を取らないので、何時も電話番をしないといけない」「呼出してもでない時は、遠くまで探しに行かねばならない」、「お互い先生付けで呼び合い、偉そうにしている」などとよくこぼしていました。

 ある職員が2回も県立高校事務室に異動になった時、職員組合が団体交渉で「県職員を県立高校事務室に何度も異動させないように」という要求を出したこともあります。

 今では、県民の県職員に対する意識は、少しは変わったでしょうか?