医者・歯医者の思い出(1)  歯医者に行きたい

 私は小さな頃から医者や歯医者に行くのが大好きな変わった子供でした。理由は簡単で医者に行くと甘い飲み薬をくれるし、歯医者に行くともっと楽しいことがあったからです。

 

 港の方にあるH歯科医院には、祖父と一緒に近所の停留所から市電に乗って行きます。私は乗車すると、すぐに靴を脱いで座席に正座し、外を眺めていました。市電は40分くらい走ると栄町一丁目の停留所に着き、降りて少し南に歩くと、海岸通に面した「商船ビル」が建っています。このビルは大正11年に建てられた7階建ての立派なビルで、1階ロビーには、指針がメトロノームのように動く扇型の表示板が上にあり、内扉が篭状のクラシックなエレベーターが3基ありました。

 エレベーターに乗り、4Fで降りて、天井が高くてとても広い廊下を進み、H歯科医院のドアを開けると、そこには衝立と上に帽子フックのついた外套かけがありました。その奥の待合室で、革張りの立派なソファーに座ってしばらく待ち、歯科衛生士のお姉さんに呼ばれると、治療室に入ります。

 診療台に座ると前の大きな窓から、波止場に出入りする船を眺めることが出来ましたし、貨物列車を引く蒸気機関車が、通りの向こうの臨港線をカンカンと鐘を鳴らしながらゆっくり通り過ぎて行くのを見たこともありました。もちろん歯を削ったり、抜く時は、景色どころではなく、恐怖で身を固くしていていましたし、痛みがひどく大泣きしたこともあります。しかし、治療が終わると祖父がビル1Fの喫茶店「海」か、三宮の「ドンク・パーラー」に連れて行ってくれるので痛みはすぐ忘れました。

 注文は「海」ではミックスジュース、ドンクでは(ウェファースとサクランボの載った)アイスクリームと決まっていましたが、どちらもめったに口に入らない贅沢品でした。

 帰りの市電では、また靴を脱いで座席に正座し、外を眺めながら元の停留所まで戻り、家に着くと、もう次に診療日を心待ちにしていました。