焼酎の銘柄は、「明るい農村」「吉四六(きっちょむ)」「いいちこ」など素朴で泥くさい名が多いのですが、日本酒の銘柄は優雅で格調高く、その由来も歴史にちなんだものが多いのが特徴です。今回は「味」はさて置き、銘柄が大変印象深いものについて紹介します。
・小鼓(こつづみ)
兵庫県丹波市の「西山酒造」の酒です。小鼓とは肩のところで打つ鼓で、大鼓とは床に置いて打つ鼓ですが、音は大鼓の方が高く「カーン」、小鼓は「ポン」という音がします。
小鼓の由来は大正3年(1914)3代目社長の友人である俳人「高浜虚子」の命名によるものです。
・浅茅生(あさぢを)
大津市旧市街、丸屋町商店街にある酒蔵「平井商店」の銘柄です。名前の由来は、延宝五年(1677年)、後水尾天皇の皇子である聖護院宮道寛親王から蔵主が賜った和歌
「浅茅生のしげき野中の眞清水のいく千代にとも汲みは尽きせじ」(野原の井戸からわく清い水は何年たっても枯れることはない)
より命名されたものです。
「野」は都に対して田舎である「大津」を示し、「蔵の井戸から湧く清水を用いて使った酒は、幾世代も後までも名声を博するであろう」という意味があると思います。ラベルにもしっかりこの和歌が書かれています。
・醴泉(れいせん)
文化三年(1806)創業の岐阜県養老郡養老町玉泉堂酒造の酒です。養老は現在でも名水の里として有名ですが、「醴泉」という銘柄は続日本紀に記載された奈良時代の「養老元年(717)十一年 十七日付元正天皇の詔(天皇の命令)」に出てくる「醴泉」に由来します。
詔の内容は、以下の通りです。
朕(元正天皇)が美濃国(現岐阜県)を訪ねたおり、養老の美しい井戸水(美泉)で顔を洗うと「肌がつるつるになり」、痛いところを浸すと「痛みが取れる」という効能があらわれた。
この水を飲んだり浴びたりすると「白髪は黒くなり、禿頭に毛は生え、盲目の人も目が見え、全ての病気が治る」と言われている。
「後漢の光武帝の時に醴泉(おいしい水)が湧き、飲んだ人の病気が治った」と言う故事がある。
「符瑞書」いう本には、「醴泉とは美泉であり、飲めば老人が元気で長生きする(可以養老)。なぜなら水の精だからである」と記される。
「美泉が湧くということは瑞兆である」とする本もある。
朕は凡庸であるが、(以上の事から)天道が定まったと思われるので、大赦を行い、霊亀三年を養老元年に改元(元号を変えること-例-昭和→平成)する。
まるで万能薬のような水ですが、同年の十二月二十二日の記述には、養老の井戸水が奈良に運ばれて酒造に用いられたとあり、奈良時代から酒造に適した水だったことがわかります。
・刈穂(かりほ)
大正二年(1913)創業の秋田県大仙市刈穂酒造の銘柄「刈穂」は奈良時代よりはるか前、滋賀県大津市にあった大津宮で668年に即位した天智天皇の「御製」(天皇の作った和歌)
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わか衣手は 露にぬれつつ」
に由来します。この歌は「百人一首の第一番目の歌」としても有名で知っている方も多いと思います。
「刈穂」の命名者は銘柄の中に、「秋の田」=「秋田(県の酒)」と「百人一首 第一番」=「酒の評価も第一番」の意味を潜ませています。中々にくいですね。
・華鬘(けまん)
20年位前の話です。静岡県三島市で二日続きで「暦の研究会」が行われました。そのおりに宿泊したホテルのロビーで同郷の会員とくつろいでいると、同会員の友達(三島在住)が持ってきた日本酒が「華鬘」です。
これは私が知っている酒の銘柄の中で最も上品で優雅な名前です。「華鬘」とは「花環」を表すサンスクリット語の音訳で、日本では仏像が安置される佛座や仏壇の装飾品として使われます。繊細な模様の金属製が多く、中には国宝に指定されているものもあります。命名者は佛教美術に造詣が深い人でしょう。
何年か前、この酒を手に入れたくなり探しまわったのですが、どこの酒蔵で作られたか手がかりが全くなく、手に入れることができませんでした。
私にとって幻の酒になってしまった訳ですが、最近では「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」に示される佛教の無常感を重んじ、美しく、儚い記憶として心の中にとどめておくのもよいのかなと思っています。