2016年

 日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
 表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。

「バンビ原作」の衝撃

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 小生が生まれて初めて鑑賞したアニメ映画はディズニー映画「バンビ」で、今でも筋書きはよく覚えています。ところが、最近、神戸新聞に「バンビ原作」の書評が載りました。映画の脚本はディズニーオリジナルと思っていたので意外に思い、手に入れて読むと、著者はハンガリー生まれで、オーストリアで活躍した作家ザルテン。物語は24章からなり、舞台は映画と違うオーストリアの森で、話の展開も全く違っています。

 「原作」の前半では「誕生」「成長」「子離れ」「発情」「縄張り争い」など「鹿の成長」や「森の自然や動物」について綴られていますが、記述が丁寧すぎて読むのが苦痛でした。

 しかし、後半は森の動物を恐怖に陥れる狩りの場面が徐々に増えてゆき、21章の「バンビの被弾による負傷」から最終章の「古老との別れ」までは激流のような展開になり「予想外の結末」が訪れます。

 その結果バンビは「動物の生殺与奪権を持ち、全能だと思われていた人間」と「一方的な被害者である動物」より「さらに上の方(かた)」がいることを知るのです。

 「さらに上の方」は、舞台が欧州であることから「キリスト教の神」と考えるのが一般的ですが、時として人間にも牙をむく「自然そのもの」かもしれません。

 命の危機にある時は全力で助けますが、普段はバンビを「目の前の現実」に向き合わせ「自主的な判断と行動」を促す「鹿の長老」は「理想的な教師」、愛玩動物として飼育され人間を信頼しきっていたのにあっけなく殺されてしまうバンビの友達「ゴーボ」は、「ブラック企業」に「社畜化」された挙句、リストラされる「みじめな会社員」の寓喩のようにも思われます。

 翻訳版は1952年に岩波少年文庫として出版されていたようですが、恥ずかしながら全く知りませんでした。子供向け読物ながら、狩りの場面では動物の「被弾」から「絶命」までの経過が的確に記されていて、「ダックスフントらしい猟犬が狐を噛み殺すところ」は大変写実的で迫力があり、当該犬のイメージが随分変わりました。

 「原作のバンビ」のモデルとなった「ノロジカ」はニホンジカの半分程度の大きさしかないので、厳しい自然の中を生き抜いてゆくことは本当に大変だったと思います。

 「原作」は大変すばらしい動物小説なので、皆様にも御一読をお勧めします。

塩屋での釣り(2) -魚は足元にいる-

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 二回目の釣行日は向かい風が強く、遠くに落とした仕掛けがすぐに足元まで戻って来てテトラや捨て石に根ガカリし、予備の針もどんどん消耗していきます。

 前回、ピンギスやテンコチがつれた「防波堤の岸寄りの場所」でも同じ状況なので、テトラがなく底が見えるような「浅場」に釣り座を移動し、仕掛けが足元に来る直前に早合わせすると結構大きなベラがあがってきました。

 その時、ふと「今治城の濠」のことを思い出しました。「今治城の濠」は「釣り禁止」なのでたくさんの魚が逃げ隠れせず堂々と姿を見せていますが、よく見ると、サヨリ、イワシなどの回遊魚は中央部を群泳しているのに対し、チヌやフグは護岸の石垣にくっつくように泳いでいます。また、石垣の穴や隙間には、メバルやガシラ、アブラメ、ベラのような根魚が潜んでいる気配もあります。

 石垣部分の水深は浅いのですが、隠れ場所があり、貝類や小動物などのエサも多く、魚には住みよい場所なのでしょう。

 根魚のポイントは、水深には関係なく、石垣や防波堤の根元つまり「足元」であることが分かってきたので、次回の釣行には足元を狙うのに有効な「短竿」と根ガカリしにくい「仕掛け」を持ってこようと思いました。

 「釣りとは反省と改良の永遠の繰り返しである」ことを改めて思い知らされたことにより「新たな道具」と「仕掛けのパーツ」を求めるべく釣具屋に通う日々がまた始まるのです。

塩屋の釣り(1) -テンコチとの邂逅-

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 小学生の頃、父に連れられて塩屋海岸に「投げ釣り」に行きましたが、明石海峡に面している場所だけに潮の流れが大変早く、重いテンビンでもどんどん流されて根ガカリし、獲物は僅かという惨状だったので、二度と同所へは釣行しませんでした。

 しかし、「今治」以降熱中している「ベラ狙いの脈釣り」には潮の早さは関係ないので、「山陽線の塩屋付近」の車窓から見えた「ベラが釣れそうな防波堤二か所」について酷暑の中下見を敢行、数日後に釣行したところ、どちらでも予想通りベラがあがってきます。

 二か所の内、西側の防波堤は「岸寄りの海底」が砂地らしく、ピンギス(小さいキス)やテンコチがかかりました。テンコチは魚信に続いて「小刻みに体を震わせるような独特な引き」から、海面に姿を現す前に魚種が分かりました。

 キスは今治港でも釣ったことがありますが、テンコチは30年位前、淡路の釣行で手にして以来出会いは途絶えていました。しかし「独特な引き」の感触は掌にしっかりと残っていたのです。

 「喉にとげがあり」「体全体にぬめりが多く」「身も少ない」という値打ちの低い魚ですが、ボウズの危機を何度も救ってくれたありがたい存在でもあるので、感謝の意味で写真を掲載することにしました。

前列左から3尾目がテンコチです

前列左から3尾目がテンコチです

 

6.「一身上の理由により・・・」

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 小生は3回転職したこともあり、「退職願」は3回提出しました。初めの時は「願」の「形式」を知らなかったので、長々と「退職理由」(職場の不満や要望)を記した「願」を事務局長のところに持ってゆきました。

 しかし、それを一瞥した事務局長は、「形式にそったものに直して再提出するように」と言い、文章の雛形までくれたので、「表題」「一身上の理由により退職いたします」「名前」「日付」だけの味もそっけもないものを再提出しました。その後の退職時は最初から同形式のものを提出したので特に問題はありませんでした。

 さて、近年「クレームは業務の改善・飛躍・新規展開の母」という意識が定着し、「クレーム」を「業務の改善策に反映させる」企業や自治体が増えてきました。

 「退職」も「クレームの一種」であり「ヘッドハンティング」「起業」のために自主的に辞めてゆく人は良いのですが、「パワハラにあった」「派閥争いに負けた」「ミッション失敗の濡れ衣を着せられた」などの理由で、会社に「恨みを持って辞めてゆく人」も結構多く、「円満退社」でも「最後に会社に言いたいことがある」と思う人もいるでしょう。

 もし、「願」にそれらの不満を存分に書くことが出来たら自分自身もすっきりするし、組織にとっても「今後の人事管理における大きな財産」となると思うのですが、皆さんはどう思われますか?(この項終わり)

5.目標管理

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   「目標管理」とは「人事管理の一環」として「年度初めに自己目標を設定し、年度末に達成率について自己採点をして提出する制度」です。それに類することは、昭和時代からあったようですが、小生の勤めていた会社で制度化されたのは10年位前ではなかったかと思います。

 この制度は「営業部門」であれば「売り上げ1億円」「新規顧客獲得数50人」など「研究・開発部門」でも「特許申請年間5件」「製品実用化10件」など「実数入りの自己目標」が立てられますが、「事務職」や「現場担当者」の場合は、はっきりした「目標」が立てにくいという欠点があります。

 「事務職」の場合、例えば「事務の簡素化、効率化を推進する」という目標を立てても、大抵の会社では既にかなりの効率化が進んでいて「切り詰める」ところがあまりありません。

 「現場担当者」も「経費は安く、施工期間は短く」という目標は立てられても、実際は天候やトラブルによって工期が延びることが多い上に、小生の会社のように年度途中での「異動」が頻繁に行われるところでは「引継ぎ」や「関係部署への挨拶」など無駄な時間が多くなり「期間」の短縮は夢のまた夢でした。

 それでも「工程が予定通り進捗している現場」に所属している間はいいのですが、そこから「救いようがないほどのひどい状態の現場」に「異動」させられてしまうと「目標管理」など吹っ飛んでしまいます。上記二者では「自己研鑽」(資格取得、セミナー出席)や「礼儀」(日々の挨拶、顧客の接遇)を「自己目標」とするしかありません。

 ところで、小生の会社の「管理シート」には一般的な項目以外に「長期的目標」という別項目が追加されていました。内容は「5年後、10年後の自分はどうなっているかを考えて、長期的な目標を立て、それらを記入せよ」ということです。

 小生は退職年度の初め「管理シート」を持ってきた上司に「年度末で退職すること」を告げました。「退職理由」や「退職後」のことを聞かれた後、「シート」の記入の話になると「今回も一般項目と長期的目標の記入をするように」と言います。「今年度でやめるのに長期的目標もないでしょう」と小生はあきれて拒否しました。

 ところが、その時の上司の言葉は、

 「当社では、年度末に自己都合退職する場合、退職年の2月頃に退職願を書いてもらう慣例がある。今、君がいくら上司に退職を告げてもそれは正式なものではない。退職願を出して決裁が下りるまでは、君は次年度以降も当社に在籍するとみなされている。当然、長期的目標は書いてもらうことになる」

 ・・・・・・・・・・

 皆さん。どう考えても変な会社だと思いませんか?

4.人事考課

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 「人事考課」とは「管理職が部下の業務に対する貢献度,職務遂行度を一定の方式に従って評価すること。職員の勤務成績を評価査定すること」の意味で、大体年度末に実施されます。

 小生が体験した「人事考課」には「土台がエクセルの専用シート」が用いられ、評価項目は「礼儀」「責任感」「適応力」など20程度。それらの各々が「具体的事例」(仕事中は常に笑顔で同僚には親切だった等)に細分されています。

 「具体的事例」の「点数欄」に「5段階評価」(10段階の場合もあります)の点数を入力し、最後まで埋めると「総合計点」と「100点換算の点数」が当該欄に表示されます。

 初めて「所長」になり「人事考課」を実施した時、部下の数は僅かで、何の先入観も持たず自分の思うままに点数を付け、短期間で記入が終わった「シート」を上司に送ると「やり直し」という付箋がつけられて戻ってきました。

 「点数に基準があるんじゃないかな?」と思い、別の課の「管理職」に聞いてみると「100点換算で50点を中心にプラスマイナス10点ぐらいの点数を付けると文句は言われない」と教えてくれました。案の定「裏の基準」があったのです。

 何年か後に異動した時は、部下も大分増えていました。年度末恒例の「人事考課シート」が届いたので、早速記入を始めると上司から「お前の部下Aの点数は50点以下にしろ、Bも高い点をつけるな」同僚からは「入社間もない若い子は点数に下駄をはかせやったほうがよい」との電話がありました。部下の業務を一番間近に見ている小生の評価は、これらの「指導」や「助言」を受け入れることによって歪められてしまいました。

 さて、作成された「考課シート」は上司がチェックし、最終的には「組織のトップ」に送られ、それらを参考に「昇進」「昇格」「人事異動」が決められますが、その多くは「裏の基準」や「上司の指導」「上司への忖度」のために「公正な記入」が行われていないことを「トップ」は知っていたのでしょうか?

 全く知らないとしたら「裸の王様」です。しかし、全てを知った上でこの「茶番」を黙認しているとしたら?

 ・・・それはそれで背筋が寒くなるような不気味なことではないでしょうか・・・。

3.ヒアリング(その2)  -ヒアリングでの約束は何処へ-

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平成10年代のある年

 上司は「年度初めの形式的なヒアリング」の終了後「近々同僚のA君に現場を任せるつもりだ」と、話しました。

 「A君は年も若く、現場経験も多くないので、一人では不安があります。まだ担当現場が決まっていない私がサポートに行きましょうか?」と提案したところ「A君は随分成長してきたので、一人で大丈夫、行く必要は全くない」とのお言葉。一抹の不安を感じながらも「分かりました」と言って引き下がりました

 程なく私の現場も決まり、現地調査に入った矢先、上司から「A君が行き詰って現場管理が出来なくなった。応援に行ってくれ」との連絡。

 「自分の現場が始まっているので無理です」と断わったところ、「君の現場には代わりの人間を行かすから」と言うので、「代わりは誰ですか?」聞いてみると「A君よりもさらに若く、たよりないB君」の名が出たので、「私の現場をB君に任せることは絶対できません」とA君のサポートは断わりました。その後、A君は何とか一人で立ちなおり、調査も軌道に乗ったことを仄聞しました。

翌年

 昨年度と同じ上司による「年度初めのヒアリング」で「君は今年度、事務所に在勤し、現場に行くことはない。事務の手伝い、整理調査、データ整理をせよ」との命令がありました。昨年のこともあるので何度も確認すると「そんなに僕の言っていることが信じられないのか」と怒らせてしまいました。

 翌日、事務所にはいつもよりうんと早く出勤。机を仕事のしやすいように配置し、パソコンのデータを整理、関係先に挨拶をして、内業を開始しましたが、案の定2か月後、「すぐ現場に行ってくれ」との上司からの電話。「ヒアリング時の命令」をあげて断ると「今回だけ頼む」と言います。それでも強硬に断ると、なんと重役が説得に来ました。

 私は「かたくなな人間」ですからへそを曲げてしまうと、重役であっても言うことを聞きませんが、「重役命令」に逆らってしまったわけですから当然処分が下るだろうと、首を洗って待っていたのに1か月たっても2か月たっても音沙汰がありません。

 「いったいどうなったの?」と思い手蔓を頼って調べてみると、当該現場には役所から派遣された「気難しく、口うるさい業務管理者」がいるそうで、「御機嫌を取るために調査員を加配した方がいいだろう」というアイデアを重役が考え「年長者で不手際がなさそうな小生を行かせるように」と上司に命じたのが、今回の騒動の発端だったようです。

 ところが、小生抜きの現場が始まってみると、管理者は昨年度と打って変わり、いつも上機嫌で、調査もスムーズに進捗するので、加配話はすぐに立ち消えになったそうです。

翌々年

 件の上司は栄転し、私より大分年下の上司がやってきました。年度初めのヒアリングでは「あのー、遠隔地の現場や長期の現場はお嫌いでしょうか?」と緊張しながらも丁寧な口調で質問します。

 「遠隔地でも長期でも何でもやりますよ」と言うと少し安心し「正直言って、気難しい方だと聞いていましたから」などと言うところをみると「小生は上司の言うことを聞かない厄介者」という悪評が広まっているようです。

 「昨年度や一昨年度のことは、上司の筋の通らないやり方に抵抗しただけで、年度初めに変な約束をせず、派遣命令を出していただいたなら、発掘調査だろうが、整理調査だろうが、分布調査だろうが、遠隔地だろうが、海外だろうが、天体だろうが、すぐに準備して出発します」と答えました

 上司はまだ不安そうな顔をしていましたが、その年度は、喜ばしいことに何の問題もなく、無事に終えることが出来ました。

2.ヒアリング(その1) -言い過ぎはいけませんー

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 今回表題にした「ヒアリング」とは「異動や昇格」に反映させるために上司が部下の「意見や希望」を聞くことをいいます。

 小生は、28歳で滋賀県の外郭団体に正式採用され、その後2回転職し、59歳で退職するまで、毎年1回、時には2回「ヒアリング」を受けてきました。しかし「異動」などで自分の希望が叶えられたことはなく、逆にいつも「ヒアリング」で拒否した分野に廻されてばかりだったような気がします。

 近年の「ヒアリング」は後述する「人事考課」や「目標管理」とセットで実施されることが多くなりましたが、昭和から平成の初めにかけては「上司が部下の意見をひたすら聞く」形態が一般的でした。一番印象に残っているのもその頃、ある上司の部下に初めてなった時の「ヒアリング」です。

 当日、彼は開口一番「君のことや考え方はよく知らないから、日ごろ思っていることを忌憚なく話してくれ」と穏やかな口調で言いました。私は自己主張し始めると「とことん言ってしまう性格」で、そのことでたびたび相手を怒らせた経験があるので、一瞬迷ったのですが「性格が穏やかで何時も冷静さを保っている管理職」という職場の評判を思い出し、心中にあることをすべて吐き出すことにしました。

 まず、最初に「急に現場に来るのはやめてほしい、現場は分単位で進んでいて、急に来られると業務の妨げとなり、予定が丸1日遅れたりする」と要望、続けて「指導助言をするときには、まず部下の意見を聞いてから、納得いくように丁寧に話してほしい」「決裁書類はできるだけ早く回してほしい」「上からの意見を伝えるだけではなく、部下の側に立って県や理事長からの理不尽な要求を押し返してほしい」など次から次へと要求をぶつけていると、黙って静かに聞いていた上司の顔が赤くなり始め、こめかみのあたりが震えてくるうちに我慢の限界を超えたらしく大爆発しました。

 上司はまず「ちょっと黙って」と私の発言を制止しました。次に私の顔を「怒りの炎が燃え上がる目」でにらみつけ「言いたい放題言うて、私がどんだけ苦労しとると思うんや」と怒鳴りつけると、強硬に反論し始めました。発言を全部書くと冗漫になるのでやめますが、「骨子」は「自分は部下を思い、事故がなく、有意義な職場環境をつくるため不断の努力をしていること」で、これを何度も何度も強調します。

 やがて自分の上司の批判をはじめ「こんな劣悪なボスの下でも部下を思う一心で忍従していること」をうっすら涙を浮かべながら訴える姿は感動的なほどでしたが、その後話題はまた元の「骨子」に戻り、話し続けていたところ、それを遮るように突然「昼のチャイム」が鳴り始めました。「はっと」我に返った上司は、穏やかな表情に戻り「興奮して私ばっかりしゃべったけど、他に言うことない?」と聞くので、「自分の言いたいことは全部申しましたし、ヒアリングにも堪能しました」と応えました。それを聞いた彼の「ばつの悪そうな顔」は今でもしっかり目に焼き付いています。

1.すまじきものは宮仕え

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 はじめに

 29歳で採用試験に合格し、バイト暮らしに別れを告げ、59歳までの31年間、サラリーマン生活をおくってきましたが、小生はこの稼業が性に合わず、中でも中間管理職や管理職など部下を管理する仕事には、絶望的なくらい不適合でした。

 出世の野心もなく、退職まで現場の一兵卒として泥まみれ、汗まみれで働きたいと思っていましたので、上司の言われるままに行動していた下っ端の頃はよかったのですが、年功序列で「長」がつく地位を得たとたん、部下の管理が全くできない、最低の上司に変貌してしまったので、かつて部下だった人達には心からお詫びをいたします。

 さて、会社や団体などのいわゆる「法人」はどこでも「人事管理」の「方針」や「方法」を決めていて、大きな会社では「人事課」が中小企業では「本社総務課」などが、直接的な「人事管理」を実施していますが、「理不尽な管理」も結構多いのが実情です。

 次回以降、失敗談を交えながら、小生の経験した「理不尽な管理」について紹介したいと思います。

グレープフルーツの謎(その2)

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 数年間「グレープフルーツが葡萄のようにたわわに実っている写真」を求めて、ネットや関連資料を渉猟してみたのですが、なぜか個体の写真はあっても「生っている写真」は1枚も見つかりません。

 仕方なく「房状」と想定して考えることにしました。まさか、デラウエアのように「一房100個以上」の実が集積していることはないでしょう。実の少ない巨峰の「一房30個前後」を例にとると、グレープフルーツの実1個の重さは250~450gなので、「小型品からなる房」でも総重量は7.5㎏以上になります。こんな重いものがぶら下がる枝はかなりの太さと丈夫さが必要で、枝を支える幹もしっかりとした大木なのでしょう。

 ナンカ(ジャックフルーツ)のように幹から直接生っているかもしれません。しかし、そうなると幹に接する実が重圧で変形して売物にならず、収穫物の歩留まりが悪いように思えます。

 房状でなく、一枝に沢山生っていたとしても、枝や幹にはやはり相当な太さと丈夫さが必要です。また国産のミカンは2~3回摘果することで果実の肥大、大きさの標準化を図りますが、一枝に沢山ついていると個体に栄養が十分いきわたるかどうかも心配になります。

 そんな疑問を忘れたり思い出したりしながら何年も過ぎた頃、久しぶりでネット検索をすると、グレープフルーツが生っている写真があっさり見つかったのです!

 実は房状ではなく、一枝に集まって生っていることが分かりました。しかし個数は7~8個しかなく、これを「葡萄」に見立てるには、かなり無理があります。件のおっさんが見たら「どこが葡萄に似てるんや!!」新たな怒りを爆発させることは必定でしょう。最初に葡萄に見立てた人の意見を聞いてみたいものです(終わり)

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