日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
滋賀県の思い出(1) 「やばい」と「ほっこり」
*滋賀県には、今治に来る前、27年も住んでいたので思い出も沢山あります。今後、思いつくままに御披露していきたいと思います。
最初は否定的内容だったのに、いつのまにか肯定的内容に変わった言葉に「やばい」と「ほっこりする」があります。「やばい」については平家物語に出てくる武士「悪七兵衛景清」や「悪源太義平」のように「悪」という否定語で武勇を表わす実例もありますので、「まあ、いいか」と思いますが、「ほっこりする」を肯定的な意味で使うことに承服はできません。
「ほっこりする」は、大津市など滋賀県南部で、昭和60年代位までは「ひどく疲れる」「立てないほど疲れる」というような過度の疲労を表わす意味のみで使われていました。当時、大津市内の発掘現場で一緒に働いていた作業員のおばさん達は、力仕事が続き、疲れた時などは「今日は、ほっこりしたさけー、はよ、いんで(帰って)、風呂に入って寝るわえー」などと言っていました。これが正しい使い方です。語源の一つに「埃(ほこり)する-埃まみれになるほど働く(のでたいへんつかれる)‐」があると言われています。
ところが何時のころからか「寛ぐ」とか「ゆったりする」など肯定の意味で使われるようになりました。「ほっこりしたから風呂に入る」だったのが「風呂に入ってほっこりする」というように変化してきたのです。
大津市に住む私のいとこは今でも本来の意味で使っていますが、ほとんどの新聞では「新解釈」が使われています。若者言葉の乱用や文法の乱れを嘆き、正しい日本語を使うことを提唱している新聞人の皆さんは、このことをどのようにお考えなのか?一度お聞きしたいものです。