この少年2人には彼らの本拠地で2回、旅行先で2回の計4回も対面しています。(※実は2人には他に6人御仲間がいて8人のチーム「八大童子」を結成しているのですが、今回御仲間のことは触れません)
昭和52年、彼らの本拠地「高野山霊宝館」で初めてお会いしましたが、その時の記憶はかなり薄れていて「セイタカ君」は頭にキノコが生えた「キノコの妖精」だとずっと思っていましたし、「コンガラ君」の記憶はまったく残っていません。
2回目は平成の初め頃、盛夏の奈良国立博物館で実施された戦後最大規模の「運慶・快慶展」でした。当日は大変暑い日で、木陰であおむけに寝転んでいる鹿や涼を求めて猿沢の池に浸かっている鹿もいました。
会場に入ると両巨匠の代表作がこれでもかというほど鎮座していましたが、一番印象に残ったのは東大寺の僧形八幡神像で、残念ながら少年たちの記憶はほとんどありません。
3回目は昨年の春、あべのハルカス美術館でした展示の中心が「八大童子」のオープン展示だったので、じっくり対面することが出来ました。意外だったのは背丈が1m程度と思っていたより低かったことです。
4回目はその夏、開創1200年の賑わいの真っただ中の「高野山霊宝館」で、すっかりおなじみになった2人に「よく会うね」と声をかけました。
ところで、「コンガラ君」はおとなしそうな顔をしていますが、やはり気が弱い少年なんだそうです。髪も前やサイドはかなりきつく巻いていますが、後ろは自然な内巻きで、まじめな女子高生のようです。
しかし、背中は素肌に幅広の襷をクロスさせた大胆な装いに、少し腰をくねらせて中々の艶姿をみせています。女人禁制の山中では人気があったでしょう。
「セイタカ君」は「まっかっかなお顔」に「ど派手なヘアスタイル」、「でっかいスカーフ」もきまっています。たぶんおしゃれな「おこりんぼ」なのでしょう。