展望

 この原稿はボツになったものですが、1999年度~2006年度まで市町村合併が盛んに行われた時期の世相をよく表しており、捨てがたいものがあるのでアップすることにしました。本文中に前文がありますので、本欄での主旨説明は省略します。

埋蔵文化財受難時代のはじまり

はじめに

 埋文の道に入って早や30年。齢も半世紀に至ろうとしている。しかし、年金受給年齢(65歳)まではまだ15年。赤子が高校生になるだけの年月が必要だ(もちろん15年後に年金そのものが存在するという前提のもとにだが)。そんな昨今、同世代の考古学仲間の死亡、失業、研究断絶を聞くことが多くなり、仲間と共に学んだ往時を偲ぶことが増えた。この30年間の埋蔵文化財を取巻く環境の変化の激しさは大変なものである。そしていまや埋蔵文化財に係る者の生活基盤が大崩壊する時代に突入しつつある。

 そこで、考古学を学んだ仲間たちの多くが就職した「大学」「博物館」「教育委員会」「公立・財団埋文センター」の過去・現在を直視し最後に自分なりの提言を行いたい。

① 大学(教育機関)

 筆者は昭和52年~56年の間、関西の某私立大学史学科に在籍した。そこで、まず思い出されるのは民俗学の老教授の講義である。教授は「万年ノート」と称する表紙の黄ばんだ大学ノートを持って教室に現れ、中身を学生に読み聞かせた。終鈴が近くなるとノートに栞を挟んで講義は終わり一週間後には栞から講義が始まった。

 今日では考えられない講義であったが、退屈なことは一度も無かった。教授の研究の集大成ともいえる「万年ノート」はどのページにも独創的な学説が記述されていて、耳を澄ませて聞き入ったものである。

 また、歴史学の老博士の講義も印象深かった。博士は自身の研究史をよく話されたが、戦前の調査を回想しているうちに記憶が途切れ30秒近く沈黙されることがあった。「大丈夫かな」と思い始めた頃、記憶が戻り再び語り出すというスリリングな講義であった。しかし、若き日の博士の目を通してみた「喜田貞吉博士」や「肥後和男博士」の生き生きとした調査風景が語られ、受講生も胸を躍らせたものである。

 もちろん当時の大学は老学者ばかりだったわけではない。講義が終わると研究室に篭り、終電までがんばる新進気鋭の助教授や専任講師もいた。しかし、全体としてのんびりムードで、講義の出席をとる教員も取らない教員もいたし、他大学の学生や近所のアマチュア研究者が講義に潜り込んでいても文句を言われることは無かった。

 30年近くの年が流れた現在、知合いの私立大学教授は週12~13コマの講義をこなし、休日出勤して講義の準備を行っている。学生による講義内容評価が度々学内に掲示されるため気の休まる間がなく、「分かりやすい講義」を心がけるあまりレベルが低下することに悩んでいる。授業の合間には学生の論文・レポートの指導を行い、夏休み・春休みには体力低下が著しい学生を連れて発掘調査赴く。

 大学上層部からは科学研究費の獲得をせまられ、せっせと応募する。獲れないと学内の評価が下るが、申請が通って複数の科研費が獲れてしまうと、報告書作成と煩雑な事務手続や経費の管理に追われ、精神的・肉体的負担も増える。教育委員会や埋蔵文化財センターの専門職員の求人が減り、専攻生が求人難に陥っていることで就職課の目も気になる。ストレスがたまりにたまりうつ病になる教員も多いそうである。

 筆者も研究者の到達点として「大学教員」への憧れがあったが今では消えつつある。

②博物館 ・常設展

 一昔前、京都国立博物館の新館仏像展示室には眷属を従えた閻魔大王が鎮座していた。入館するとまず御前に赴き、己の悪行を懺悔してから展示見学に進むのがパターンであったのだが、閻魔大王はいつのまにかいなくなり、仏像展示室からも足が遠のいてしまった。かつて常設展といえば不変のもので、替わり映えはしないが「そこに行けば必ずある」という安心感があった。

 しかし、今は開館後5年もすると常設店の展示替えの話が出てくるようである。(展示会社の陰謀のような気もするが)  十数年前、公立博物館の学芸員をしていた筆者が自館の企画展のために他館の常設展示品を借りたことがある。展示品を梱包・搬出した後、同館の学芸員が空になった演示台に「只今貸出し中」の小パネルをおいた。「これを目当てに来たお客さんはがっくりするでしょうね」と聞くと氏は「関西まで出張して当館をPRしてくれるのですから、お客さんも納得しますよ」と慰めてくれた。

 近年は主要な常設展示品には「複製品(レプリカ)」が用意してあり、貸出しがあっても展示場所が空になることはないようである。しかし、あの「複製品」の文字を見てしまうとなにか損をした気分になる。 今では企画展の目玉となるなら常設展示品でも借り出し、貸出し側は貸出期間中レプリカ展示でつなぐというのは入館者軽視ではないかと思う。

・企画展 イベント

 近年、国立や公立博物館の特別展ポスターも派手になった。そこには人目を引きつけるコピーが踊っている。出掛けてみると平日でも大勢の来館者でごった返し、割り込みのトラブルがあちこちで起っている。全国から集められた珍品が所狭しと並んでいるが、もともと「出開帳」なので作品の収まりが悪く、展示間隔が狭いので1点1点集中して観賞できない。

 どちらにしても後に並んでいる人にせかされるので、ゆっくり楽しむことは無理である。 手元にある某県立博物館の年間スケジュールを見ると特別展2回、企画展3回、講演会10回、その他イベント18回を5名の学芸員がこなしている。講演会やイベントにかかる手間と苦労が年に何回も学芸員のところに押寄せてくることに心から同情したい。

 自治体財政が苦しくなって博物館運営費が削減されるにつれて、どの館も入館者増に血道を上げ始め、勢い企画展やイベントが増えることになった。先ごろ筆者の所属会社が参加して不採用になった公立博物館指定管理者選定コンペの説明会でも「入館料は指定管理者の利益になるのでどんどん入館者を増やしてください」と強調していた。

 筆者が埋蔵文化財調査部門から博物館に異動になったとき「調査・研究取り組める」と喜んだのだが、実際は企画展やイベントに忙殺されて埋文時代より調査・研究に充てる時間は減ってしまった。

・蔵

 大学の博物館学の授業では「博物館の心臓は蔵(収蔵庫)である。収蔵品の観察・調査を繰り返し、成果をまとめ、報告する。そしてその一端を披露するのが企画展だ」と教わった。昭和58年、初めて博物館に所蔵品の調査に行った。担当の学芸員は、収蔵庫の中に机を持込んで館蔵資料の観察に余念が無く、手元には分厚い調書があった。その後あちこちの館に調査に行ったが、当時はどこの館でも学芸員は収蔵庫にいた記憶がある。企画展やイベント準備のため中々蔵に篭れない現在の博物館学芸員を見るとなにか別世界のようだ。

 東海地方の某市立博物館に調査に行った折り、依頼していた館蔵品の調査が終わったので、お礼を言って帰ろうとすると館長が「余計なことかもしれませんが、もしよければ調書を見ていきませんか」というので、好意に甘えて調書を見せてもらった。なんとたった1点の館蔵品の調書にファイル1冊分(少なくとも50頁はある)の資料が添付されていた。内容は当該資料の専門研究者による報告文の抜粋、新聞記事のスクラップ、資料貸出先の図録のコピーなどで、特筆すべきは調書の余白に月日を記した館長の意見が数え切れないほど書き込んであった。

 「すごいですね」と感嘆すると「館蔵品は何度でも見ます。見るたびに新しい発見がある。それをみんな書き込んでおくのです。関連資料もみんな綴じておく、こうしておくと図録の解説文を書くときに便利です」と答えてくれた。 頭の下る思いがした、資料は何度も見ることが大事である。資料は不変でも観察者の知的レベルは経験を積むにつれて上がる。学会や現説で新知見を得ることもある。館長のいうとおり、見れば見るほど新しい発見があるだろう。

  考古遺物も未整理で埃まみれのまま収蔵庫に放り込んでおけば只の瓦礫である。何度も何度も観察し、新知見加えることによって、瓦礫は宝物に変わり、倉庫は宝庫に変わる。宝庫の輝きが研究報告や企画展を魅力的にして多くの入館者を引きつけるという考えは甘いだろうか。

 博物館には大事な文化財を傷めずに後世に伝えるという大きな役割もある。しかし多くの公立・市立博物館では予算削減のため館蔵品の修復・保存処理が十分なされず、大事な文化財の劣化が進んでいる。目先の利益に囚われて「蔵」をほったらかしにしてきたため大きなツケが回ってきているのではないか。

③ 教育委員会

 第一段の市町村合併の嵐もようやく去り、業務もおちついてきた昨今であるが、埋文部門の現状は暗いところが多い。合併により1市町の埋文職員が増加し、埋文体制が強化されるという目論見は外れ、異動や定員の削減により多くの市町で埋文職員は合併前より減少し、広大な行政領域に点在する現場を少数の職員が東奔西走してこなしている。合併した他の自治体の文化財については一から学ばねばならず、山岳部や島嶼部の自治体と合併した場合、天然記念物や動植物関係の業務が増える。合併後、自治体支所(旧役場)に各部局が割振られた自治体は多いが、教育委員会は大抵一番小さく不便な支所におり、本庁に決裁をとりに行くのに移動時間がかかる。以上のことから多くの合併自治体埋文職員は精神的・肉体的負担が増えている。

 筆者と同世代40代後半~50代前半の埋文職員のなかには、合併による人事再編により文化・教育・スポーツ部門の課長や課長補佐になって埋文の一線から引いてしまった人もいる。会って話をすると埋文への熱い思いを聞くこともある。「退職の日までトレンチにいたい」と言っていた職員が町民運動会の運営や市民会館の補修の計画を立てている。

 予算不足により埋文部局にも数年で解雇される嘱託が増えており、前任者が何十年もかかって地道に積み重ねてきた地域調査の実績が途絶してしまったところもある。しかし、まだ教育委員会内の部局に所属する「元埋文職員」は幸せかもしれない。域内の発掘調査が減少し、仕事が減少したことで、他部局に異動してしまった埋文職員も多い。 バブル期に「今は時間がほとんど無くて掘るばっかりですが、開発が一段落して時間ができたら、じっくり遺物の検討をしたい」と話していた某市の埋文職員はバブルが終わると同時に市民課に異動して戻ってくる気配はない。

 学会もバブル期は活気があった。開発がどんどん行われ新しい遺跡が次々見つかるから発表テーマに事欠かなかった。採用されてまもない若い担当者が出土品や遺構写真を休憩時間に発表者に見せて一生懸命質問している姿をよく見かけた。バブルが終わり調査件数が減るとともに学会も勢いがなくなってしまった。

④財団・事業団立埋文センター

 埋文専攻生の就職先でとも大きな危機にさらさせているのが、財団・事業団立のセンターである。もともと教育委員会の調査業務を保管するために誕生し、条例や規則によって業務内容が発掘調査やそれに関連することに限られるため、公共事業の減少により、財政基盤が大きく揺らぎ、規模の縮小や複数財団の統合が実施される例も出てきた。 京都市埋蔵文化財研究所は定員削減を行い。神奈川県知事は「かながわ考古学財団を2010年度末には第3セクター以外の法人を目指す」と発表した。

 「(財)和歌山市文化体育振興事業団」は平成17年度末には一旦解散したが、「埋蔵文化財部門」は和歌山市内の文化施設を指定管理者として運営する「(財)和歌山市都市整備公社」という本来業務のまったく違う財団の一部に組みこまれるという不可解な状態で存続している。資本主義の原則からいって需要(公共事業に伴う緊急調査)が減少するにつれて、供給(財団・事業団立のセンターによる調査)も減少することは自明の利であるが、リストラとなると職員の生活を危機にさらし、高いレベルの発掘技術を持った技術者の系譜を絶ってしまうことになる。バブル期には労使双方が協力して職員を増やし続けた。当時某外郭団体の労働組合の役員として職員増を要求し続けた筆者も今となっては責任の一端を感じる。

 ⑤提案(1)考古学研究会によるアンケート調査

 既に問題が深刻化している中で2つの提言をしたい。ひとつは考古学研究会に望むことであり、もうひとつは自分が実現に向けて考えるべきことである。考古学研究会に望むことはまず会員アンケートにより会員が所属している組織の現状とそれに対する意見を集約してほしいということである。

 本来なら考古学協会がアンケートを実施すべきであるが、論文や報告書の執筆が入会条件になる考古学協会はプロ研究者の集まりであり、また設立趣旨に反対し入会していない研究者も多いことから、アンケートを実施しても全ての考古学研究者の総意を集約できるとは思わない。考古学研究会はプロ研究者以外にもアマチュア研究者、教員、学生等を会員に含み、生い立ちからして象牙の塔に篭るアカデミックな性格を持つ団体ではない。研究仲間である会員の危機を対抗するアイデアを持ち寄って検討するには最適の組織と思えるがいかがであろうか。 自分の職場さえ安泰であればよいというのは狭量である。考古学研究は決して一人で出来るものではない、仲間の協力によって初めて可能になる。かつて調査に協力してくれた会員が生活の危機に直面しているかもしれない。今こそみんなでアイデアを出し合って助け合っていく時と思う。

⑥提案(2)社会遺産ISOという考え方

 最近は法人のみならずISO90001認証(工程管理)やISO14001(環境負荷の低減)認証を取得する自治体も増えた。ISO90001認証を取得したことにより工程管理に段階ごとチェックが必要になり、「残業・休日出勤で盆も正月もなしにやっつけしごとで現場をこなし、報告書は年度末までにとにかく入稿さえすればよい」といったいい加減な調査は実施しにくくなったが、工程管理が厳しくなり、仕事が増えたと嘆く埋文職員もいる。

  ISO14001認証を取得して環境に配慮した組織運営を行ったところでどんな意味があるのかと疑問を持つ職員も多い。しかし、工程管理や環境重視ということが法人や自治体の社会的役割として必要だという認識は社会全体に広がってきており、次は「労働安全衛生マネジメントシステム」というISO認証の登場が予想されているそうである。(註1)  著者はここで第4のISOとして「社会資産ISO」を提言したい。社会資産というと地域社会に必要な公民館や集会場や公共事業で作られた橋・道路・公共ホール・学校などのいわゆる「箱物」が想起されるが、もっと広い範囲で見ると各種文化や芸能・学術・社会組織に加えて「人間」そのものも社会資産に入ることができる。

 大学教員、博物館学芸員、埋文担当者など調査・研究を積み重ね学生・歴史愛好者・地域社会などに文化的貢献している「人間」もまた社会遺産である。近年、社会はこういう職種の人をあまりにも軽んじ、使い捨てにしてきた。 法人でも自治体でも自ら作り、育てた「物的資産・人的資産」を十分活用することなく無駄に打ち捨てるばかりであるなら、これこそ限りある資源の無駄遣といえる。しかし、実際に「活用されていない物的資産・人的資産を再活用しよう」と進言しても「かえって予算がかかる」「法人や自治体の職制上無理だ」等の意見が出て、中々実施出来ないものである。

 そこで社会資産ISOを提案したい。同ISOの基本は「自治体・法人は自ら作り出した社会資産(物的資産・人的資産)の何%かは必ず活用しなければならない。」ということで、社会資産再活用の重要性を周知させていく役割をもつ。

 組織にとって実質的な利益にならないISO14001認証が、地球環境の保全という大きな目標を評価さ れ世界各国に広まりつつある昨今であるからこそ「自治体・法人の物的資産・人的資産を見直し再活用する。それにより無駄を無くし、節約する」という社会遺産ISOも実現性があると考える。

 とはいっても、実現するには一体何年かかるのか、現実性があるのか、一介の会社員の大言壮語ではないか思われる会員が大半だと思う。しかし、長江もはじまりは濫觴である。少しでも興味をもたれた方には御意見を伺いたいと思う。

  註

牧英憲・鳰原恵二 監修 長門 昇 図解 よくわかるISO ゼロからスタートできるISO9000S・ISO14000S認証取得

日本実業出版社 2000,10,30