(前言)
年末ということで「パソコン本体」「外付けハード」「USB」にたまったデータの断捨離を行っていたところ「教員に対する恨みつらみ」を記した「10年以上前の小文」が出てきました。
当時勤めていた「遺跡発掘会社」を退職してからは「出向教員」に会う機会もなくなり、現在付き合いのある「教員」は「教員らしからぬ人?」ばかりなので、教員嫌いも随分解消されてきたようです?
しかし自分史に何度か現れる「暗黒時代」に教員が深くかかわっていたことを記憶に留めることは大事なことなので「小文」を掲載することにしました。
(本文)
私は教員が嫌いです。理由は簡単です。偉そうにしているからです。
小学校のころは「教員は偉いものだ」と思っていたので気にもかけなかったのですが、中学になると「自分の豊かな知識をお前たちに分け与えてやるんだ」という横柄な態度を取ったり、体罰を振う教員が大嫌に。
また、議員や弁護士、医者と同様お互いを「先生」と呼び合うのも、特権意識を誇示しているようで気に入りませんでした。
「学園祭の出し物」や「運動会の応援方法」を決めるクラスミーティングで生徒の意見がまとまらない時、
「意見はまとまらなくてもいいから、ともかく一生懸命やれ」
と、無責任な発言をする教師も嫌いで「意見がまとまらなければ、まとまるまで論議すればよいし、それでもまとまらなければやらなきゃいいのに」と思っていましたが、小心者だったため言い出せず仕舞い。
しかし、中高時代を振返ってただ一人だけ尊敬できる教員がいました。
中学2年時の若い英語教師で、1学期の中間テストの答案を返す時、
「このクラスの英語の平均点が他のクラスより悪かったのは僕の指導不足です。申し訳ありません。次回のテストは点数が上がるように努力します」
と、生徒に頭を下げたのです。
テストの成績が悪かったことを叱ったり、馬鹿にする教員は山ほどいましたが「自分に責任がある」と謝った教員は唯一無二で、私同様教員嫌いの父にこのことを話すと「近ごろ珍しい教員だ」と感心していました。
その後、この先生とは一緒にスケートに行く程仲良しになったのです。
成人して「遺跡発掘会社」に就職すると「県立埋蔵文化財センター」に出向してきた「高校教師」の指揮監督の下で助手として遺跡発掘作業を手伝うことが何度かありましたが「出向教員」の多くが発掘会社の社員を虫けらのように扱うことには驚きました。
社員に少しでも落度があると(落度の原因のほとんどが教員側にあり、責任転嫁もしょっちゅうでした)激昂し、常識では考えられないほどの罵詈雑言を吐き散らします。
この「悪鬼」のような姿を彼の子供がこの見たら、間違いなく絶縁したいと思うでしょう。
しかし、その「悪鬼」も「大学教授」や「県教委のえらいさん」が発掘現場にやって来ると別人のように卑屈な態度をとるのは情けないことです。
余談ですが、この教員の「怒りをなだめるため」に急遽駆けつけて来る会社の営業マンの姿もまた驚くべきもので、事務所に入ってくるなり、頭を床にすりつけんばかりにして謝り、揉み手をして、教員が気分を直すまでひたすら御世辞を言い続けるのです。
営業マンなら当たり前のことかもしれませんが、この様子も彼の子供に見せてやりたいと思いました。
上記の体験を経て忍耐力は向上しましたが、トラウマにもなったようで、今でも時々、当時の状況で「出向職員」が登場する悪夢を見ます。