釣りを始めた頃

 小学校2~3年の時、父に須磨海岸に連れて行ってもらったのが始めての釣行でした

 須磨海岸に行くには国鉄灘駅(現JR、当時父は省線と呼んでいました)から電車に乗り須磨駅で降ります。駅は当時としては珍しい橋上駅で、まず北側階段を下り駅前の餌屋でゴカイを猪口に一杯買い、駅に戻り南側の階段を下りると、もうそこは海岸で、適当な場所に行き荷物を下ろし、釣座をつくります。

 仕掛けは、「先端にイチジク型の錘の付いた太い凧糸約1mにハリスが2本付いている」もので、これを頭の上で鎖鎌の分銅のように回し、タイミングを測って、手を離すと、遠心力で遠くに飛んでゆきます。錘が海に落ち着床するとゆっくり手で引き戻しながら魚信をとります。

 最初の頃は、投げ込みは父で私が引っ張るという具合でやっていましたが、その内、父は「6角形に面取りされた木製の投げ竿」と「オリムピック社製のスピニングリール」を買って来て使いだしたので、私は手釣りの仕掛けを譲ってもらい、遠くには飛ばないものの自分で投げ込んでいました。当時は船舶の廃油排出規制が不十分で海岸のあちこちには船が垂れ流した油の塊がありうっかり踏むととるのが大変でした。海水も濁っていてゴミが沢山打ち上げられていました。

 釣果は、朝から夕方まで頑張って十数尾程度で、最も多い魚は体長10~15㎝程の「テンコチ」でした。ぬめりがある上に首にとげがあり、大きな口で針を丸のみしてしまうので、釣れてもあまりうれしくありません。「キス」も小型しか釣れませんが「テンコチ」よりはましです。「カレイ」も10㎝程のミニサイズでしたがめったに釣れないのでかかると大喜びしました。

 父は戦前、祖父から釣りを習ったと言っていました。祖父は晩年、陶芸に打ち込んでおり、私が小学校3年生の時に亡くなったので、一緒に釣りに行ったことはありませんでしたが、私が生まれる前はよく須磨海岸に釣りに行ったそうです。しかし、釣り糸のもつれをほどくのが苦手で、釣行から帰ると「釣りをしているより糸をほどく時間の方が長い」と必ず同じ愚痴を言うので、家族は苦笑していたようです。

 当時の釣糸は昆虫由来のテグス(オオクスサンという蛾の幼虫から取る生糸のようなもの)で「水に漬けるともつれがほどけやすい」言われており、糸を海水に漬けてはもつれをほどいていたのでしょう。

 近年、神戸の海は大阪湾岸の下水道普及が進んだため、吃驚するほどきれいになりましたが、皮肉なことに水中の栄養分の濃度が下がり、漁獲高は減少しつつあります。