行幸啓の話 (その3)

・当 日

 当日朝6時前、まだ外は暗いのに館長に起こされ、寝ぼけ眼で指し示された窓を見ると外に人影があります。恐る恐る通用口から出て人影に近づくと白い割烹着に「日赤奉仕団」の襷をかけた小母さん達20人位が入口前に佇んでいました。挨拶をして話を聞くと「両陛下が車を降りられた時の様子が最もよく見える場所を取るために4時起きでやってきた」とのことでした。

 6時を過ぎた頃からは続々と人が集まり始め、7時には「車寄せ前」の「特等席」はすっかり埋まり、少しでも前に出ようとする人垣を警察官が押し戻しています。8時になると「入り口前広場」を取り囲むように人垣が出来、町道の方にもかなり人が集まってきたようです。

 9時半を過ぎ、町道の西の方で「拍手」と「歓声」が沸き起こるのが聞こえ、それがだんだん館に近づいて来ます。そして、ついに「本物の行幸啓の車列」が視界に入ってきました。しかし、小生はそれを合図に「事前に決められた業務」のため館内の別の場所に移動するために残念ながら「御到着場面」は見られませんでした。

 後ろ髪引かれる気持ちで移動した小生の持ち場は事務所の机を片付けて作られた「臨時の茶汲所」で、両陛下と「随行の方々」への呈茶のために既に数名の職員が「てんてこ舞い」で茶を淹れています。

 私も茶碗を並べたり薬缶を運んだりしていましたが、しばらくして、数人の足音が廊下を通り過ぎ「御休息室」のドアの閉める音がすると、ほどなく侍従の方が両陛下の入室を告げにきました。

 それを受けて事務員2名が、緊張の面持ちで両陛下に御茶をお持ちし、続いて別室の随行の方々にも他の職員が手分けして御茶を運びます。

 それから数分後、また廊下を足音が通り過ぎ、両陛下が展示室に入られたことが確認されると、今度は守衛室で万一の事態(地震・火事など)に備えての待機です。

 三つの展示室を見学しながら移動する「御一行」の動きは各室の監視カメラにより守衛室のモニターに映し出されるので「ガードマン」と「県職員」が「見学時間配分表」と突き合わせて時間チェックをしますが、滞在時間は各室とも1分程度しか誤差がなく「館長、やるやん」と感心しきりです。

 そして、三番目の展示室の監視カメラから人影が消えるとすぐに入り口付近から歓声が聞こえてきて、数分後「出発された」との連絡が守衛室に入ったので、入口に行くと町道を走去る車列の最後尾が見えました。

 町道の規制も解かれ、「車寄せ前」や「沿道」の人も帰りはじめたので「御休憩室」に行ってみるとスタッフが交代で「臨時の玉座」に座り記念写真を撮っていましたが、まもなく片付けが始まります。

 借りてきた「応接セット」を県内各施設に運搬するためのトラックが通用口に横付けされその脇を機動隊のバスや関係車両が続々と帰ってゆきました。

 夕方近くになって片付けが概ね終了したので、スタッフ全員が「入口ロビー」に集められ、館長から労いの言葉を受けました。県庁や役場から来ていた応援組が帰庁してしまうと、がらんとした館内は「祭りの後」のようなさみしさに包まれ、無人の「入口前広場」を吹き抜ける秋風も冷たさを増したようです。