「世間をお騒がせしてすみません」

 横溝正史作「人形佐七捕物帳」の一場面。

 春のうららかな午後、しばらく事件のない平和な江戸「佐七」は恋女房に膝枕で耳掃除をしてもらい、子分の「きんちゃくの辰」は鼻毛を抜き「うらなりの豆六」は草双紙を読みながら居眠り。

 将軍様のありがたい御政道は江戸の隅々までいきわたり、天下泰平、鼓腹撃壌「岡引き」や「瓦版屋」はすっかり無聊をかこつ有様。

 しかし、そんな平安もやがて「とんでもない事件」に打ち破られ、親分子分うち揃ってあたふたと家を飛び出してゆくのですが。

 平穏な日常だと「警察」や「マスコミ」が暇なのは、現在でも全く同じです。

 昭和の頃知り合いだった「社会部記者」も事件のない日は、「支局」や「警察記者クラブ」の片隅に過度の酒とたばこのせいですっかり張りのなくなった顔で所在なげにくすぶっているのですが、事件の一報が入った途端、たちまち元気を取り戻し、カメラマンや後輩記者を引き連れてばたばたと出動するのが通例でした。

 ところで「世間をお騒がせしてすみません」というお詫びの文言は「事件」や「事故」に関連して行われる「記者会見」で当事者がよく用います。

 小生はこれを聞くたびにいったい誰を対象にしたお詫びなのかずっと疑問を持っていました。

 まず、お詫びの対象である「世間」とはそもそも何でしょうか?

 三省堂『新明解国語辞典』第七版-2016年-によると、

「一般の人々が集まって形作る社会。また、それを形作る人びと」

と、書かれています。

 「社会」や「人々」の範囲が特に限定されてないことから「世間」とは「日本社会」いや、もしかすると「地球上の社会」のことかもしれません。

 しかし、タレントの「不倫」や「二股疑惑」が「全世界」に悪影響を及ぼすとは思えませんし、どうしても「不行跡」を詫びたいなら、実際に損失を被る「所属プロダクション」「スポンサー」「テレビ局「「興行関係先」「ファンクラブ」等に個別に誤りに行けばいいわけで、事件に関係のない視聴者に謝罪する必要性はあるのでしょうか?

 そもそも、タレントがテレビでお詫びしても、視聴者の多くは損失を被ったわけではないので対応のしようがありません。

 また、この文言は当事者が「将軍様(総理大臣閣下)の立派な御政道により岡引き(警察)や瓦版屋(マスコミ)が無聊をかこつような平和すぎる世の中の秩序を乱す事件を起こしたことを詫びる」ために用いており、事件そのものの違法性を詫びてはいないのです。

 聞くたびに不信感を抱いている小生のような「世間の一員」もいることですし、当事者もこの「手垢のついた」「無責任な」言葉を使うことはもういいかげんやめるべきでなないでしょうか。 

 さて、蛇足ですが記者会見での「マスコミの皆様」は「国民の代表として質問している」とよく言われますが、当事者と利害関係のないことが多い小生が「国民の代表」に選んだ覚えはありません。

 この「国民の代表」は記者会見で当事者に対して「適切な答がない」などと声を荒げたりしていますが、実際は大きな事件や天災がないと「天下泰平時の佐七」のように暇で困ってしまう立場なので、「世間を騒がしてくれてありがとう」という本当の思いを心に秘めて「記者会見」臨んでいることは間違いないと思います。