日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
時雨を急ぐ紅葉狩り
中学校の時、国語の授業で初めて接した古文テキストは謡曲「紅葉狩」でした。冒頭の謡「時雨を急ぐ紅葉狩り」の一文が気に入り、舞台となった信州戸隠に行って時雨に煙る紅葉をぜひ見たいと思いながら、実現しないまま不惑を走り抜け、知命を少し過ぎた頃、秋の白川郷を訪れる機会がありました。
当日は朝からしぐれていたので「もしかしたらあの謡のような景色が見られるかもしれない」と期待しつつ、紅葉の名所「白山スーパー林道栂の木台駐車場」まで車を走らせました。到着すると早速展望台に行ったのですが、時雨が霧雨に変わったため全く眺望がききません。
少しでも景色が見えないかと目を凝らして下を眺めていると、突然強風がおこり、霧が吹き上がってきて、あっという間に展望台全体を包んでしまいました。駐車場の車どころか、近くにいた人の姿も見えなくなったので、動くに動けず、不安なまま立ちつくしていました。
そのまま長い時間がたったような気がしましたが、実際は4・5分くらい過ぎた頃でしょうか、風に乗った霧が上空に抜け去ると、錦繍というにふさわしい見事に紅葉した山々が目の前に浮かび上がってきたのです。
ああ、これこそが私が何年も「見たい、見たい」と願っていた本当の「時雨を急ぐ紅葉狩り」でした。今まで各地の紅葉に見とれたことはあります。しかし魂を揺さぶられるほど感動したのはこの時が初めてで、私にとって一生忘れることのできない体験となりました。
恐怖のザッハトルテ
子供の頃は何ともなかったのに、成人してから「あんこ」が苦手になりました。「アンパン」「まんじゅう」「汁粉」を食べると「胸やけ」が起きるので、茶の湯教室では「あんこ」の入った御菓子は他人に譲るか持って帰るようにしていました。また、「甘酒」でも同じように「胸やけ」がおきるようになりました。
さて、この「胸やけ」はあることがきっかけで収まってしまうのですが、それはまたの機会にお話しするとして、今回は別の方向に話が展開します。
ある時、叔父夫婦がヨーロッパ旅行に行き、「ザッハホテル」の「ザッハトルテ」を実家に御土産として持ってきました。名前だけ借用した国産の「ザッハトルテ」とは違い、本家本元、正真正銘の銘菓なので、早速家族全員で切り分けていただくことにしました。
実は私はチョコレート系の御菓子についてはどんなに甘いものを食べても「胸やけ」を起こしたことはなかったので、フォークで大きめに切って口に入れました。しかし噛むと「ジャリ、ジャリ」と音がします。「これはもしかして砂糖!!」と思う間もなく舌の感覚が麻痺するぐらいの強烈な甘味が口いっぱいに広がりむせそうになったので、紅茶で薄めてなんとか飲み込みましたが、「あんこ」や「甘酒」の時よりもはるかに速く「胸やけ」の症状があらわれてきました。
たとえチョコレート系であってもそこにふくまれる「超大量の砂糖」は胸やけの原因になるんだということが身にしみて分かりました。
ドカベン香川の思い出
先ごろ、ドカベンの名で親しまれた元プロ野球選手香川伸行氏が52歳の若さで亡くなりました。1979年9月頃、私は浪商在学中の香川選手を見かけたことが一度だけあったので紹介いたします。
当時は阪急電車で京都の大学に通っていたので、いつものように十三駅で神戸線の電車から京都線の電車に乗り換えました。すると偶然にも香川選手と同じ車両に乗り合わせたのです。高校最後の大会が済んで気楽になったからでしょうか、クラスメート数人とお気に入りの御菓子について談笑する表情は甲子園で大活躍していたころの厳しさはなく、普通の高3生よりも幼くみえました。朝のラッシュを過ぎた時間帯で乗客は少なく、誰も香川選手がいることに気がつかないようでした。グループは茨木市駅あたりで降りてゆきました。
あれから36年、諸行無常です。
私と京都(1) 「いけず」の本当の意味
私は、30代から50代にかけて大津市に住んでいて、仕事や遊びで数えきれないほど京都市内に出かけました。しかし、何回行っても駅から町に出た瞬間、緊張から自然に背筋が延びてしまいます。その理由はおいおいお話ししてゆきますが、今回は第1回目ということで怖―いお話から。
京都弁で「いけず」という言葉があります。単なる「意地悪」を指す言葉だと思っている人はいませんか?いえいえ実は大変奥が深い恐ろしい言葉なのですよ。ある少女が体験したエレベーターの話をいたします。
ある日、京都市内に住む某奥様は、御歳暮を贈るため小学生の娘を連れて市内のデパートに出かけました。1階からエレベーターガールのいないエレベーターに乗り目的階のボタンを押しました。その時、くたびれた背広を来て、いかにも加齢臭の漂ってきそうな小父さんが急ぎ足でエレベーターに向かって歩いて来たそうです。女の子がふと母親を見るとその手は「閉」のボタンを繰返し押していました。
ここまでなら単なる意地悪おばさんの話ですが、続きがあります。
さて、母親は一生懸命、「閉」のボタンを押したのですが、なぜかドアはそのままで、小父さんがエレベーターに乗り込んだ途端、急に閉まったそうです。小父さんは母親が「開」のボタンを押し続けてくれたと思い。「すんまへん」と礼を言いました。
すると母親はにっこり笑って「よろしゅうおしたなあ、間におうて」と、さも「開」のボタンを押し続けていたように装ってこたえました。女の子は「お母ちゃんて、いけずやわー」と思ったそうです。
皆さん、分かりましたか?
「いけず」という言葉の本当の意味は、「相手に自分をよい人間と思わせておきながら、頭の中では相手を破滅させる策略を巡らし、気づかれないように実行する」ことなのです。なんと恐ろしいことでしょう。「貞子」より怖いです。
阪神・淡路大震災(2) 最初のルミナリエ
最初のルミナリエは地震の年の12月に行われました。
会場の大丸南側の通りはでこぼこが多く、建物の窓もすすけていました。シートに囲まれた修復中のビルや更地もあり、地震から1年たたない厳しい現実がそこにはありました。
仮設や避難所から見物に来た人も多かったのでしょうか、コート姿より防寒着やダウンジャケットを着た人が目立ちました。アーチの電飾も2回目以降に比べると随分地味で暗いものでしたが、柔らかな光が震災で彩(いろどり)を失った街をつつんでいました。
ルミナリエは地震で亡くなった人に捧げる燈明だという共通認識があったからでしょうか、大声ではしゃぐ人はいませんでした。人の流れの乗って歩いていると、思いのほか早くアーチを通り抜けてしまいました。名残惜しいので、振り返って見物客を眺めていると、一人の老人が幼稚園くらいの女の子の手を引いて黙って歩いていました。この子の父母や兄弟たちはなぜ一緒にいないのでしょうか?アーチを見上げて泣いている中年女性もいました。彼女はなぜ一人で泣いているのでしょうか?
ルミナリエは被災者に安らぎと勇気をあたえる光のエネルギーでした。惜しまれながら閉幕し、アーチが片付けられ、年が改まり、震災一周忌がすんで、春に向かう頃、ようやく復興の足音が高まってきたような気がしました。
ある日
これは12、3年前、調査会社にいた頃の話です。当時は泊りの出張に行くと必ず居酒屋で飲んでいました。今ではすっかり酒も弱くなり、目当ての店が閉まっていたらすぐUターンします。どうこう言う話ではありませんが、最後に少しオチがあります。
今日は、久しぶりに支社に行き、夕方大津に戻ってきて、レンタカーを借りて桑名に向かいました。明日9:00に「調査終了報告書」を教育委員会に持って行くために今夜は桑名市内のホテルに泊ります。それにしてもたいへんな大雨で前がよく見えません。ずっと目を凝らして運転しているせいか肩もこってきました。
8時前、漸くホテルにつくと、保守系県会議員の後援会集会がはねたところで、傍若無人に振舞う後援会幹部連中がロビーにあふれて、フロントにたどり着くのも一苦労しました。しかし、我慢々々、今夜は駅前の韓国料理店に行くという大きな楽しみがある。ここには日本では中々飲めない本場のマッコリがある、ぷちぷちと発砲する濃厚なマッコリを想像するだけで喉がなります。
しかし、大雨の中を十五分もかかって歩いていったのに店はつぶれていたのです。「そういえばいつ来てもお客は少なかったな」と思いつつ気を取り直して、駅の反対側にあるもう一軒の韓国料理店に行くと臨時休業。
かなり落ちこみましたが、仕方なく一度行ったそこそこいける焼鳥屋に行って見るとなんと串カツ屋に替っていました。「肉体的にも精神的にも疲れた体には串カツはもたれるし、もう酒を飲まずに帰ろう」と思いホテルに向って歩き出すと汚いビルの一角に「アジアン無国籍料理店」という小さな看板を見つけました。疲れ切った私は休憩も兼ねて店内へ入りました。見渡すと小さな店はいっぱいの客で賑わっており、特に店奥に20代の女性客が10人、小テーブルを3つ連結した長テーブルを囲んで多いに盛り上がっておりました。
ピッチャー3つがからになっており、そろそろデザートの品定めに入っていることから、宴たけなわです。私は唯一空いていた彼女等の脇の小テーブルに座りました。店にはマスターとウエートレスの2人しかいないらしく、なかなか注文を取りに来ません。やっとウエートレスをつかまえてマッコリと「トムヤンクン」「手羽先煮」やら「ふかひれ春巻き」などを注文しました。出てきたマッコリが高い割にはグラスは小さかったので大いに気落ちしましたが、手羽先や春巻きは予想外においしく、トムヤンクンは本場の味をしのぐほどの出来映えで「これはめっけもんの店」だと元気が回復してきました。
さて、女性グループはメニューの杏仁豆腐が品切れだと知るやウエートレスに文句をいい。何人かは「杏仁豆腐がないのならまた料理に戻る」言って冷麺を注文したり、点心のごまだんご注文する者もいて、マスターは注文をさばくのに厨房を走り回っています。
食べ物全てがなくなってからも、ディズニ―ランドの話、ロイホの定食の話、高島屋のステーキ定食の話などで大いに盛り上がっていましたが、帰りの交通手段の話がぽつぽつとでてきた頃、幹事がレシートをもらってきて、電卓で5円単位まで割り勘し、集金が終った幹事一人を残して店を出てゆきました。
支払いを済ませた幹事が帰ってしまうとまだ客がいるのに寂しいくらい静かになりました。私は何気なく彼女等のいたテーブルを見ると、そこはあっと驚く光景がありました。なんと取皿、サラダボール、コップなどの食器がテーブルの中央に集められ、きちんと重ねて片付けられていたのです。箸や箸袋まで一箇所にかためるという念のいれようです。
食器を引きにきたマスターに「すごいね、お客がこんなきれいに片付けていったのは初めて見たよ」と言うと、「人手が少ないので片付けが楽です」と喜んでいました。グループが忙しそうな店員を見て心配りをしたのか、外食でも食器は片付けるようにという躾を受けていたのか知るすべもありません。しかし、仏滅と三隣亡が一緒にきたような日の最後の最後に心洗われる光景を見ました。めでたし、めでたし。
滋賀県の思い出(2)
世の中に絶えて隣のなかりせば大津の人はうれしからまし
大津市は戦後合併を繰返しどんどん大きくなり今では琵琶湖の南部から西部まで広がっています。世界遺産比叡山延暦寺、坂本の門前町、園城寺、石山寺、浮御堂(サスペンス劇場の最後の場面でよく出てきます) 、大津宮跡、近江国庁跡などなどの名所旧跡も多く、市内の国宝の件数も歴史都市鎌倉の15件の倍以上、36件もあります。
市内の北郊には比良山、蓬莱山のようにトレッキングに最適な1,000~1,100mクラスの山々が連なっています。蓬莱山頂にはスキー場があり、山奥には熊もいます。琵琶湖ではヨット、カヌー、ウインドサーフィン、釣りなどのマリンスポーツが楽しめ、水泳場(琵琶湖は海ではないのでビーチのことを水泳場といいます)で泳ぐ時も淡水なので、シャワーなしで服を着て帰ることが可能です。
まさに「鎌倉、湘南海岸」に「スキー場」「熊」がプラスされたような大変魅力ある市で、今の場所以外にあれば華やかに光り輝く大人気の市になったことは間違いありません。しかし、残念ながらド派手な隣人のせいでこの素晴らしい市がちっとも目立たないのです。その隣人はJR大津駅からの電車の乗るとわずか9分の所にいます。9分というと東京駅から山手線で北なら鴬谷、南なら田町・品川間までの所要時間と同じです。
この隣人は日本を代表する観光地で、昨年度は観光客の評判が世界一になりました。国宝は208件もあり、大学や専門学校も多く、伝統文化から先端科学までなんでも揃っていて、芸妓さんや舞妓さんもいるとにかく派手な市ですから、どんなに大津市が頑張ってもかすんでしまいます。
こんな隣人がいない鎌倉市の皆さん! あなた方は本当に幸せです。
愛媛の生活(2) 釣り
口内炎の話
子供の頃から口内炎に悩まされて来ました。一度に沢山出来て水を飲むのも辛い人もいるようですが、私は一度に複数できたことは2・3回で大抵は1個です。
口内炎の発症する原因の7割は(食事中によそ見したため舌をかむ→血豆が出来る→血豆がつぶれる→口内炎発症)のパターンです。できる場所が舌の縁辺部なので食事の時に食べ物が当たるとたいへん痛みます。
残り3割が(ストレスにより口腔内に豆や血豆が出来る→潰れる→口内炎発症)のパターンで、舌と違い患部に食べ物があまり当たらないのでそれほど苦痛ではありません。私はストレスにいたって弱く、試験や研究発表の前日によくこのパターンの発症がありました。
30代くらいまでは、直径1cm以上もある大きな口内炎が出来、食事もできないほど痛んだことがありましたが、最近は加齢のせいか小さな口内炎しかできません。
口内炎の発症から治癒までの日数はほぼ決まっていて、発症してから4日目で最悪の状態になりますが、その後は回復に転じ、7日目には痕跡だけになり痛みも消えます。4日間我慢すれば5日目からは治癒してゆく喜びを味わえるので、口内炎用の塗り薬や張り薬を用いたことはありません。
堺の思い出(2) 大魔神遂に立つ
ホームページを開設して以来、いろいろなネタを矢継ぎ早にアップしてきましたが、今回で一区切りつけて少しペースダウンしようと思います。
今回のネタはトトロとともに私の好きな大魔神のパロディ版です。
10年くらい前に書いて、忘れていたものですが、近年、ハニ丸が復活し、自身もホームページを作成したのを契機に、少し手直しして、アップしました。
「ターミネーター」では「未来社会」から過去にやって来たアンドロイドが、歴史事象を替えようとします。
これにヒントを得て、その逆のパターン「古墳時代の大魔神が後世である中世の堺に現われたらどうなるだろう?」というテーマで話は進みます。
時代考証はいい加減ですが、堺の文化財を知る人なら「ああ、あのこと」とうなずける場面も多いと思います。
短い話です、どうぞ御笑覧ください。
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堺の思い出(2) 大魔神遂に立つ |