日々の出来事や写真、過去の小文、その他諸々を取り上げます。
表題はホームページのタイトル候補だったのですが、咽(喉の上の方)、喉(喉の下、首のあたり)ということで落選しました。しかし因業に音が同じなので、わがままでかたくなな性格の自身にふさわしいと思い表題に復活させました。
釣行三題
7月26日(水)
今年の初釣行は舞子の市民釣場に豆アジ釣り。
昨年以来、買置していたアミエビを消費するための釣行で、やる気のなさが伝わったのか、豆アジ5尾、ミニチャリコ1尾の貧果。
「初釣行だし、ぼうずじゃなかったのでOK」ということで、餌切れとともに納竿。
8月5日(土)
今回はベラ狙いで、のべ竿のみ携行して出発。
11時頃、塩屋防波堤に到着。先客はおらず防波堤の根元で竿を出したところ、ミニチャリコやミニハゲの餌取り攻撃が続くなかで、運悪く?引っ掛かかったミニハゲは防波堤横の川で遊んでいた親子にプレゼントしました。
その後ようやくキュウセンがかかり始め、2時間強の間にぽつぽつと魚信があり、釣果は15㎝越えが3尾、ミニサイズが8尾、ミニチャリコ3尾というさみしさ。
今年は毎日暑く、海は日陰のないため、釣りに行くことを躊躇していたのですが、海辺に出てみると常時風が吹き存外涼しく快適でした。
8月20日(日)
5日同様ベラ狙いで出漁したのですが、5㎝以下のミニベラ、ミニ鯛、ミニエソ、グレ、ミニハゲなど放流サイズばかりかかり、普通サイズの魚信がありません。
11時過ぎから3時ごろまで竿を振ったのに15㎝クラスのベラ3尾、ミニサイズ4尾、ミニハゲ1尾、ミニチャリコ2尾というありさま。
隣で投げ釣りをしていた親子が10m沖に投げた竿に25㎝クラスの青ベラがかかり、予備の竿での投げ釣りに色気を出しかけたのですが「脈釣りを極めようとしているのに迷いは禁物」と自戒、程なく納竿し帰路につきました。
三軒家図版2
三軒家図版1
三軒家遺物計測表
愛媛県東温市三軒屋窯陶磁片調査報告本文
経絡秘孔を突く
小生は20代から50代初めまで肉体労働を続けてきた結果、腰や肩の強さには絶対の自信があり、肩痛や腰痛とは無縁でしたが、寄る年波には勝てず60代半ばから、徐々に左肩の調子が悪くなり、正月が明けた頃、ひどい肩痛に襲われ、腕が全く上がらなくなってしまいました。
仕方なく接骨院に行き、診察を受けると五十肩だと言うので、
「自分は60代なのに五十肩と言うのは変でしょう」
と反論すると、
「五十肩と言うのは通称で、本来の病名は肩関節周囲炎と言い、完治まで時間がかかる」
とのこと、
その日から「マッサージ+針治療」を週2回受け、3週目になると、ようやく肩の高さまで、腕が上がるようになりましたが、痛みと筋肉のこわばりのためそれ以上は上がりません。
2月入って最初の診察日、担当の鍼灸師が月末で辞めたため、系列の院から助人に来た20代の鍼灸師に初めて診てもらいました。
彼は十分触診をした上で、
「今までは激痛がある方の肩の表側に針を打っていましたが、場所を変えて、肩の裏側に打ちましょう」
と肩の裏側に針を打ったところ、針先に小さな爆発があったような未経験のインパクトがあり、
「これは効いたぞ」
実感した時、
「さあ、上げてみましょう」
との指示があり、腕を上げてみると・・・。
何の痛みも抵抗もなく、予期せぬ勢いで「ビヨーーン!!」と上がったので、体が右に傾き、椅子から滑り落ちそうになり、診療室中に聞こえるような声で、
「あがったよ!!」
と叫んでしまいました。
小生は腱鞘炎になった時とパソコンの打ち過ぎで首が回らなくなった時にも鍼灸治療を受けましたが、こんな劇的な効果があったのは初めてだったので、
「針がこんなに効くとは思いませんでした」
と褒めると、
「五十肩のツボは表と裏にありますが、裏のツボの反応が良かったですね」
と冷静に答えるのを聞きながら「北斗の拳」の
「経絡秘孔を突く」
という言葉を思い出しました。
ケンシロウは触診もせず目視だけで「経絡秘孔」を突き、相手を絶命させたり復活させたりする恐るべき能力を持っています。
彼が鍼灸院を開けば「神灸師」などとほめたたえられ、患者が蝟集し、門前市をなすことは間違いないでしょう。
古語は生きている
・錦織(にしごおり)の反対言葉
今から40年以上前の昭和50年代終わり頃、小生は大津宮推定地といわれていた大津市錦織遺跡の遺跡調査現場で、地元農家のおばさんたちと一緒に発掘のアルバイトをしていました。
当時、現場監督がおばさん達に「きつめの仕事」を言いつけると、おばさん達はなぜかみんな揃って「やさし・・」と答えます。
それを聞いた監督は「また錦織の反対言葉が出た。やさしは、きついということやろ」と言い返すのですが・・。
私は「京都のぶぶ漬け」に類する地元特有の言い回しだろうと聞き流していました。
ところが先頃、たまたま古語辞典をみていて、古語の「やさし」は「痩す(やせる)」の形容詞形(シク活用)で、本来の意味は「身が細るようである。つらい」であることを知ってしまいました。
錦織のおばさんの「やさし・・」は反対言葉ではなく、自分の気持ちを素直に表す言葉だったのです。
しかし、この解釈については問題点があり、
同辞典によると「やさし」の意味が「つらい」であるのは、平安時代中頃までで、平安時代末になると「優美である、上品だ、しとやかだ」という意味に変わり、さらに鎌倉時代は「けなげである、殊勝だ、感心だ」「情が深い、心が優しい」になり、江戸時代に至ってようやく「容易である」という意味が加わるとのこと。
錦織では、平安時代中頃の言葉の意味を一途に守り続けていたことになりますが、果たしてどうなのでしょうか?
・おらぶ
今治で仕事をしていた頃、大声で叫ぶという意味で使われていましたが、実は「ば行四段活用」の動詞で、万葉集にも出てくる大変古い言葉です。
もとは泣き叫ぶという意味でした。
四国地方全体で使われていますが、関西や関東では廃れてしまったようです。
平成4年最後の釣行
12月5日(月)塩屋防波堤に進行。10時頃到着し竿を下しましたが、数日前に急に寒くなったせいでベラたちは冬眠に入ったらしく、釣れるのはクサフグばかり、2時間もすると風が強くなり、寒さが身に染みるようになりました。
納竿しようかなと思い始めた頃、大きな魚信があり竿を立てるとずっしりとした重みが。ようやく大物が来たと喜んでいたのに姿を現したのは20㎝近いフグ。
フグ料理免許を持っている知り合いもいないし、しかたなく逃がしたところで納竿、今年の釣り納めとしました。
2022年、豆アジはさっぱりでしたが、ベラは大型も交えて沢山釣れました。
さて、来年はどうなるでしょうか?