父の趣味は釣りと謡曲、ハーモニカでした。釣りは私におぼえさせることが目的だったようで、中学生になると「一人で行け」と言って、自身はやめてしまい、謡曲一本になりました。
所属していたのは50年以上の歴史を持つ謡曲同好会で、指導は人間国宝の豊嶋弥左衛門氏。同輩は古参の自信家ばかりで、若き日の金剛永謹氏(現金剛流宗家)が代稽古に来た時など、皆が「お前のような小僧の稽古が受けられるか」と怒り出し、追い返したという伝説もあるそうです。※宗家=家元の事
父も人間国宝に習っていることが自慢でしたが、先生は偉いのに、才能がないのか腕前は全く向上せず、家で謡の練習が聞こえてくると、家族から「また、牛が鳴きはじめたわ」「先生の謡はよく分かるけどお父さんはなに言っているのか全然わからないわ」とか言われ、評判は散々でした。
私も「運動にもなるし、仕舞でもやった方がええんちゃうの」と言ったことがあります。しかし、何を言われても気に留めることもなく「観世の謡本は楷書やけど、金剛は行書で読みにくいんや」と自身の腕前とは関係ないことをぼやきながら「もーもー」やっていました。
晩年は、練習が面倒になり、友達から誘われたこともあってハーモニカに趣味が移りました。その父もすでになく、謡曲同好会もどうなったのか、時代の流れは速いものです。