みんな「天の声」を待っている -月釜受付顛末記-

 悲惨な月釜体験から10年が過ぎた頃、私が所属する茶の湯教室が地元の公民館で「月釜」を掛けることになりました。自身も「月釜」は2・3回お手伝いしましたが、何れも水屋の雑用係でした。しかし、師匠から今回は「受付」をするように命じられました。

 「これはえらいことになった」と思いました。なぜなら私の社中はOLさんのところと違い「受付」が正客の指名を含む席順のコントロールをするという「伝統」があります。しかし、まだまだ新参な私が、師匠と同格の茶人やもっと偉い方が出席する「月釜」の席順コントロールを行う自身が全くないからです。

 そこで、入門以来何かと頼りにしているA先輩なら知恵を授けてくれると思い、教室の帰り道「受付」ノウハウを聞いてみたところ、先輩は、以前「月釜」の「受付」をした時の経験をもとに作成した「受付の秘策」を記したノートを貸してくれました。「秘策」の通りに動けば受付はばっちりだということなので、当日は「秘策」のコピーを袂に入れて会場に出かけました。開会1時間前の打合せでは、師匠から数人の名前が記された名簿を渡され、「この人達には事前に正客をお願いしてあるので受付で確認してください」と言われました。開会して、一席目、二席目は、御客の中に「名簿」記載の人がいて快く正客を引き受けてくれ、順調なスタートを切りました。ところが三席目の御客は三人連れが二組と二人連れが一組の計八人なのですが、「名簿」記載の人はその中に含まれておらず、正客を決めなくてはなりません。

 早速、袂から秘策を取り出すと、まず最初に、

秘策1  茶席の相客の中に「知り合い」がいないか探す。「知り合い」がいたらその人を正客候補にする。いなければ50代以下で和服を来た御客(茶の湯修行中堅クラスの人)を正客候補にする。60代・70代は頼んでもうまく逃げる術を知っている古狸なので駄目」

 と、あります。

 私 「よし、正客候補をまず決めよう。あの三人グループの一人どっかで見たことあるな。そうそう、Bさんや、師匠の知合いで御祭の茶席を手伝いに来ていた人や、京都の偉い先生の弟子とか言うてた。どうみても40代やしあの人で決まり」

 次の「秘策」は、

秘策2  前席終了の10分前位、待合の御客に「正客」が決まったか尋ねるが、決まっているはずはなく、全員「正客」就任も拒否している。ここで、しばらくおろおろした様子を見せ、おもむろに「すこし、お待ちを」と言い残して、水屋に行き、師匠に「X氏(自分が決めた正客候補)が正客でよろしいか」と聞く、師匠は茶道具の準備や、御菓子の盛付、点て出し(たてだし 註1)の指示、などで忙しく、あまり考えず「はい、よろしわ」と答える。これが言質になるので、必ずそれを聞いてから帰ってくる。

 私もおろおろして見せてから「すこし、お待ちを」と言い残して、水屋に行き、正客について師匠の同意も得て来ました。さて、次は、

秘策3 待合に行き「亭主がX氏(受付が決めた正客候補)を是非お正客にと申しております」と宣言する。

 早速、待合に行き「亭主がBさんを是非御正客にと申しております」と宣言しました。すると、

・Bさん 「えー、そんなん無理です。先生無茶言いはるわ。絶対無理やわ」

・Bさんの連れ 「なにゆうてんの、先生の御指名なんよ」

・もう一人の連れ「あなた御茶名(註2)持ってはるし、やりよし、やりよし」

・連れ二人で一斉に 「やりよし、やりよし」

・Bさん 「えー、むりよ、むり、むり」

 ここで、最後の秘策です。

秘策4  グループの一人が正客に指名されると、グループの仲間は自分は難を逃れたいので必ず同意する。その波に乗って「そろそろ前席も終わりますし、師匠の意向でもありますしなにとぞ、よろしく」と候補者に強くお願いする。

 「そろそろ、前席も終わりますし、師匠の意向でもありますしなにとぞ、よろしく」と強くお願いすると、

・Bさん 「かなんわー、二人とも、恨むわ、私きっと失敗するから、助けてよ、時間も来ているみたいやし、私がやらせてもらいます」

 これで無事正客が決まりました。めでたし、めでたし。

 茶の湯のキャリアが長い人でも、短い人でも正客で失敗したら後で悪口を言われるし、ましてキャリアの浅い人が立候補したりしたら「生意気や」「身の程知らず」などと非難されます。そんなわけで、みんな「正客」なりたくないのですが、決めないことには席入りができません。実は御客は「天の声」を心待ちにしているのです。

 「天の声」によって決まった正客なら茶席で上手くいけば褒められるし、失敗しても「天の声」のせいにすることができます。新参者の「受付」が御客に「天の声」を発することはできませんが、「受付」が決めた「正客候補者」を亭主が承認すれば「天の声」として通用します。面白いことに「正客」が決まると同じグループの人達は仲間に「正客」を押し付けた後ろめたさからか「正客」の次に手間のかかる「御詰め」をすすんで受けることが多いのです。

 さて、四席以降についても「秘策」通り「受付」を行ったおかげで「正客」も「御詰め」も順調に決まり、流血の惨事もなく「月釜」は無事終了しました。本当にもつべきものはよい先輩だと心から思いました。

註1 「月釜」のように御客がたくさん来る茶会では、時間がかかるので亭主が御客一人一人に茶を点てることはありません。亭主が由緒ある茶碗で御茶を点てるのは「正客」「次客」までで、それより下座の御客には弟子たちが水屋内で普通の茶碗で点てた茶が一斉に振る舞われます。これを「点て出し」といいます。

註2 全ての点前を教授された弟子にその証として家元から与えられる特別な「名前」で、芸能修行の「名取名」のようなもの。裏千家では「宗」字と自分の名の一字を組み合わせて作成されます。例えば名前が久子なら「宗久(そうきゅう)」になる。