嫌いな言葉(1) 「寄り添う」

 「寄り添う」という言葉の意味を「新明解国語辞典 第七版 2012年刊行」で調べると「相手の体に触れんばかり近くによる」とあります。具体的には「横並びしている二人が、接触寸前の状態になっていること」をいうのでしょう。

 しかし、「加齢臭のきつい小父さん」や「目がちかちかするような刺激的な香水をつけた小母さん」に無理やり寄り添われたら迷惑ですし「初対面のきれいなお姉さん」が寄り添ってきたら、嬉しいよりも「なにか魂胆があるな」と警戒して身を引きます。

 逆に「公園のベンチにいる見知らぬ少女」に小生が寄り添っていったりしたら、不審者として通報され、駆け付けた警察官に事情を聴かれることは間違いなく、返答次第では連行されるかもしれません。

 「寄り添う」という行為には、「当事者同士の合意」が必要で、寄り添う姿が自然なのは「親子」「兄弟」「恋人・親友同士」に限られると思うのですが、「東日本大震災」以降「気持ちの上で寄り添う」という意味での使用が盛んになってきました。

 自治体の広報誌には「住民に寄り添う行政を実施します」、選挙公報には「被災者に寄り添う政策を提言する候補者○○です」などと書かれていたりしますが、ここには「寄り添い」の要件である「当事者同士の合意」が抜け落ちています。

 さらに、自治体の職員は税金で雇われた「公僕」なのですから「寄り添う」という非積極的な働きでは不十分で「国民の幸せ」のためには粉骨砕身すべきであり、議員も「法律」「条令」の「提案・審議」に全力を傾注し、国民生活を足元からしっかり支えなければなりません。

 近年マスコミまでが「国民に寄り添った報道」などといい始めました。了解もとらず勝手に寄り添うより、国民の膏血を搾り取る「頭の黒いネズミ」をあぶりだすことが、優先ではないかと思うのですがいかがでしょうか。

 小生はこの言葉が大嫌いで、聞くたびに上述の迷惑な「小父さん」「小母さん」を思い出し寒気がしてきます。