昭和61年から平成13年まで16年間在籍した滋賀県の「外郭団体」の職員構成は「団体が独自に採用した職員」と、「県で採用され団体に出向してきた職員」からなっていました。しかし、両職員の仕事内容に区別はなく、「独自採用職員」の部下が「出向職員」だったこともよくありました。
さて、件の「出向職員」ですが、出向後何年か経つと「団体」の管理部局である「県教育委員会事務局文化財保護課」に戻ってゆくのが通例です。「団体」出向中は、発掘現場や埋蔵文化財センターなどで「一技術職員」として働くだけですが、「文化財保護課」に戻ると20代の若手職員であっても「行政官」として外郭団体や市町村の文化財担当職員を指導・監督する役目を担います。
市町村職員にとって県は大きな権限を持ち、指導は絶対で、各種補助金も握っていますから、年下の県職員であってもへりくだって接します。毎日そんな状況が続くと「自分は偉い」と勘ちがいして、接客態度が横柄になったり、慇懃無礼になる県職員は結構多いのです。
ある年の4月初めに県庁に行ったところ。「団体」にいた3月末までは「控えめ」で「おとなしい性格」だった同僚が、ぞんざいな言葉遣いで某市の職員に電話をしているのを聞きびっくりしたことがあります。
私に対する態度も高圧的で、そのあまりに速い人格変化に驚きました。しかし、数年後、彼が「団体」に再出向してきた時、たった一日で元の「控えめ」で「おとなしい性格」に戻ってしまったのにはもっと驚きました。
私自身は上記のことを反面教師として「たとえ役職につくことがあっても人格が変わることがないよう、重々自戒すべきである」といつも心がけています。