コロナもだいぶん収まったこともあり、グルメ番組で見つけた日本酒バルを標榜する居酒屋の古風なガラス戸を開けて入店すると・・。
入口近くの透明冷蔵ケースには一升瓶が沢山並んでいるのですが、テーブルに着き「保有リスト」を見ると、近年「銘酒居酒屋」から足が遠のいている間に流行が変わったせいか、馴染みの銘柄が見当たりません。
ようやく「手取川」が見つかったので、注文すると女性の給仕が一升瓶とワイングラスを持ってきてほんの少しグラスに注いで戻って行きます。
ワイングラスで日本酒を飲むテレビコマーシャルもあるので驚きはなかったのですが、口をつけた時、思わず「あっ」と声が出ました。
かつての「手取川」とは全く違う桃のリキュールのような甘くフル-ティな味がしたからです。
「手取川」の風味が「フルーツ味」に変わってしまったなら他の銘柄はどうなんよ?
という疑問と、一杯の量が少ないことも相まって、試飲のようにたくさんの銘酒を注文したのですが、どれもこれも「軽くさわやか」で、多寡はあるものの「フルーツ味」を含むものばかりです。
「大将の嗜好によって選ばれたことを考えても時代とともに銘酒の味は変わるもんやなあ」と、感慨にふける内に、ふと遥か来し方のことを思い出しました。
それは昭和50年代のことですから40年以上前、友人といった九州旅行での出来事です・・。
山陽新幹線で朝早く大坂を発ち、午前中に九州に上陸、福岡県内の遺跡を見学し、夕方博多の安宿に着き荷物を降ろすと、早速近くの居酒屋に進行、カウンターに陣取り、生まれて初めて「焼酎の湯割り」を注文しました。
すぐに運ばれてきた湯割りのコップに口をつけると「まるで、輪ゴムを燃やしたような不快な臭い」がします。
あまりのことに飲むのをやめようかなとも思ったのですが、もったいないので、口で息をしながら飲み干しました。
さて、年は流れて、平成の初め頃、社会人となった小生は仕事で博多に出張し、今度は一人で居酒屋へ行き、耳学問で「ロックなら焼酎も臭くない」と聞いていたので、芋焼酎のロックを注文、恐る恐る口をつけると、臭みもなく甘い香りがします。
「これならいけるかも」と2杯目は湯割りを注文しましたが、悪臭は皆無。
念のため大将に「7~8年前に飲んだ湯割りは臭かった」と話すと、「臭い焼酎は昔の話で、最近は臭いものはなかとよ」との答え。
その後、東京で芋焼酎のブームがおこり「村尾」「森伊蔵」「魔王」のいわゆる「3M」の一升瓶に2万円以上の値が付いた頃、仕事で鹿児島に数か月滞在したのを幸いに、地元ならではの安値で三種を飲み比べましたが、いずれも香りよし、味よしで、臭みなし・・。
すっかり、焼酎が気に入った小生は、定年退職するまで、九州出張のたびに、いろいろな銘柄を注文したのですが、臭い焼酎に邂逅したことはありませんでした。
しかし、WEBで調べると昔ながらの臭い焼酎も鹿児島県内には僅かながら残っているそうです。
日本酒にも変わらぬ風味を守り続ける古風な蔵元がありますが、近年は、銘柄に発泡酒を加える蔵も目に付くようになりました。
思い起こせば、小生が成人し、酒が飲めるようになった時期は「灘酒(メジャー)の大海」の中に「地方蔵の手作り酒(マイナー)」がぽつぽつと現れはじめた頃で「越乃寒梅」を代表とする「高級銘酒百花繚乱」の夜明け前のような時代でした。
それから50年近くが経ち、焼酎、日本酒の銘柄も時代に合わせて変化しているのに普段「ぼー」としていて一向に気が付かなかった時代遅れの田夫野人の述懐はここらで終了といたしましょう。