8月初旬、コロナ禍もやや落ち着いてきたので、出雲地方へ2泊3日の名所遊山に出かけました。
2日目の15:00頃、松江城下町にある田部美術館を見学し終えて当日予定は終了したのですが、ホテルに戻るには時間が早すぎるので「八雲立つ・・・」の歌で有名な「八重垣神社」と室町時代創建の本殿が国宝指定されている「神魂神社」の両社を参拝することを思い立ち、レンタカーで国道を南下。
30分程で着いた八重垣神社は、あまり特色のない小ぢんまりした神社だったので、参拝後、路傍にある「資生堂の椿の印章」のモデル「夫婦椿」をちらっと見て、神魂神社に向います。
ところが、地図上では近隣に見えたのに実際は山を一つ迂回しなければならず、その間に日は沈み、出発から1時間近く過ぎ、薄暗くなりかけた頃、周囲の風景とはなじまない、神気が立ち昇ぼる杉林を遠くに発見しました。
そこからしばらく坂道を登り、ようやく当該神社の駐車場に着きましたが、付近に人影はなく、車を降り杉木立からひぐらしの声が降り注ぐ、暗い参道を進むと、道端にまるで「異界への道標」のような「苔むした手水鉢」があります。
コロナ禍ということで、口は漱がず手だけを清め、石段を上ると社殿が立ち並ぶ境内に出ましたが、石段正面の国宝本殿・拝殿の古び方が尋常ではありません。
創建以来風雪・風雨にさらされ続けたのでしょう、屋根の檜皮はボロボロで、柱も欄干も柵も痩せ細り、木肌はささくれ、少しの振動でも倒壊しそうです。
本殿両脇の末社も本殿同様に古びていて、その一つ稲荷社の石狐は風化がひどく生気がまったくありません。
参道と社務所の周りには大杉の木立があり、本殿裏の斜面は低木と草に覆われているのですが、境内の地表は苔と草が僅かに見えるだけの粗い砂地なので、社殿群は「砂浜から生えたきのこ」か「大きなケムール人が小さなケムール人を従え佇立している」ようにも見え、不気味さが募ります。
気を取り直し、御参りするために、拝殿に入ると神前の案には磁器製一升瓶の御神酒一対と米、果物、野菜などの神饌があふれんばかりに供えられ、垂髪で紫の袴を穿いた女性の神官が夕方の御祀りを行っていました。
「モノクロームな神域の中でここだけに華やかな色彩があるなあ・・」
と、思ったその時、小生は感じたのです・・!!
神饌の供応を受けた本殿と末社の神々が静かに御霊を震わせているのを・・・!!
・・・・。
神威を受けたためか、それからしばらくの間、体が麻痺したように動きませんでしたが、やがて我に返り、
「これはもしかして、澱のように動かない夕凪の大気に包まれ、ひぐらしの声だけが響く逢魔が時に現れたあやかしではないか?」
と、思ったのですが・・・・。
「あやかし」ではなかったのです。
なぜなら、神官の祝詞を聞いているうちに「余生を明るく過ごす希望」と「死の恐怖を吹き飛ばす安堵感」が、心底から湧き上がってきたからです。
これこそ神威を感得した何よりの証拠ではないでしょうか。
創建以来、様々な自然災害・戦乱を乗り越えて、身を細らせながらも生き抜いてきた神魂神社の社殿群は、一見枯れて生気を失った屍のようにも見えます。
しかし、そこに鎮座する神々は日々の神饌と御祀りを供されることにより、神威が衰えることなく、ずっと社殿を守り続けてきた・・・。
まさに神魂神社です。
「参拝したことで己の人生は変わった」ことを確信し、晴れやかな気持ちで御社を後にしました。